「铃の鸣る道」
车椅子に乗るようになってから十二年が过ぎた。その间、道のでこぼこが良いと思ったことは一度もない。ほんとうは曲りくねった草の生えた土の道の方が好きなのだけれど、脳味哙までひっくり返るような震动には、お手あげである。だいいち、力の弱い私の电动车椅子では止まってしまう。
车椅子に乗ってみて、初めて気がついたのだが、舗装道路でも、いたる所に段があり、平らだと思っていた所でも、横切るのがおっかないくらい倾いていることがある。
ところが、この间から、そういった道のでこぼこを通る时に、一つの楽しみが出てきた。ある人から、小さな铃をもらい、私はそれを车椅子にぶらさげた。手で振って音を出すことができないから、せめて、いつも见える所にぶらさげて、银色の美しい铃が揺れるのを、见ているだけでも良いと思ったからである。
道路を走っていたら、例のごとく、小さなでこぼこがあり、私は电动车椅子のレバーを慎重に动かしながら、そこを通り抜けようとした。その时、车椅子につけた铃が「チリン」と鸣ったのである。心にしみるような澄んだ音色だった。
「いい音だなあ。」
私はもう一度その音色が闻きたくて、引き返してでこぼこの上に乗ってみた。
「チリーン」「チリーン」 小さいけれど、ほんとうに良い音だった。
その日から、道のでこぼこを通るのが楽しみとなったのである。
长い间、私は道のでこぼこや小石を、なるべく避けて通ってきた。そしていつの间にか、道にそういったものがあると思っただけで、暗い気持を持つようになっていた。しかし、小さな铃が「チリーン」と鸣る、たったそれだけのことが、私の気持を、とても和やかにしてくれるようになったのである。
铃の音を闻きながら、私は思った。
"人も皆、この铃のようなものを、心の中に授かっているのではないだろうか。〟
その铃は、整えられた平らな道を歩いていたのでは鸣ることがなく、人生のでこぼこ道にさしかかった时、揺れて鸣る铃である。美しく鸣らしつづける人もいるだろうし、闭ざした心の奥に、押さえこんでしまっている人もいるだろう。
私の心の中にも、小さな铃があると思う。その铃が、澄んだ音色で歌い、キラキラと辉くような毎日が送れたらと思う。
私の行く先にある道のでこぼこを、なるべく迂回せずに进もうと思う。
「铃の鸣る道・花の诗画集」(偕成社)星野富弘著
车椅子に乗るようになってから十二年が过ぎた。その间、道のでこぼこが良いと思ったことは一度もない。ほんとうは曲りくねった草の生えた土の道の方が好きなのだけれど、脳味哙までひっくり返るような震动には、お手あげである。だいいち、力の弱い私の电动车椅子では止まってしまう。
车椅子に乗ってみて、初めて気がついたのだが、舗装道路でも、いたる所に段があり、平らだと思っていた所でも、横切るのがおっかないくらい倾いていることがある。
ところが、この间から、そういった道のでこぼこを通る时に、一つの楽しみが出てきた。ある人から、小さな铃をもらい、私はそれを车椅子にぶらさげた。手で振って音を出すことができないから、せめて、いつも见える所にぶらさげて、银色の美しい铃が揺れるのを、见ているだけでも良いと思ったからである。
道路を走っていたら、例のごとく、小さなでこぼこがあり、私は电动车椅子のレバーを慎重に动かしながら、そこを通り抜けようとした。その时、车椅子につけた铃が「チリン」と鸣ったのである。心にしみるような澄んだ音色だった。
「いい音だなあ。」
私はもう一度その音色が闻きたくて、引き返してでこぼこの上に乗ってみた。
「チリーン」「チリーン」 小さいけれど、ほんとうに良い音だった。
その日から、道のでこぼこを通るのが楽しみとなったのである。
长い间、私は道のでこぼこや小石を、なるべく避けて通ってきた。そしていつの间にか、道にそういったものがあると思っただけで、暗い気持を持つようになっていた。しかし、小さな铃が「チリーン」と鸣る、たったそれだけのことが、私の気持を、とても和やかにしてくれるようになったのである。
铃の音を闻きながら、私は思った。
"人も皆、この铃のようなものを、心の中に授かっているのではないだろうか。〟
その铃は、整えられた平らな道を歩いていたのでは鸣ることがなく、人生のでこぼこ道にさしかかった时、揺れて鸣る铃である。美しく鸣らしつづける人もいるだろうし、闭ざした心の奥に、押さえこんでしまっている人もいるだろう。
私の心の中にも、小さな铃があると思う。その铃が、澄んだ音色で歌い、キラキラと辉くような毎日が送れたらと思う。
私の行く先にある道のでこぼこを、なるべく迂回せずに进もうと思う。
「铃の鸣る道・花の诗画集」(偕成社)星野富弘著