本を読むことは、よいことだ。たとえ、それが住居の贫困の反映であっても、个人が自由な想像力によって、それぞれの精神の个室をもつのはのぞましいことだ。じっさい、そもそも「个人」というのは、そういうふうにして成长してゆくものだからである。
しかし、家庭のなかの书物というものを考えてみると、これはずいぶん、ふしぎな品物のような気がする。なぜなら、本は家庭の备品のひとつではありながら、结局のところ、个人にぞくするものであるからだ。家庭の本棚にならんでいる何十册、あるいは何百册の本の背表纸は、家族のみんなが毎日ながめているのに、その中身は、家族共有のものではないのである。a その点で、家庭にある他のもろもろの备品と书物とは、性质がちがうのだ。
それはそれでよい。ちょうど、个室をのぞきこまないことが礼仪であるように、精神の个室ものぞきこまないほうがよいのかもしれぬ。お互い、好きな本を読んで、それぞれの世界をたのしめば、それでよい、というべきなのかもしれぬ。
しかし、本は、いっぽうで个人にぞくするものでありながら、同时に、だれでもが入ることのできる个室、つまりホテルの部屋のような社会性ももっている。だれかが使用中であるかぎり、そこにふみこんではならないが、空室になったときには、だれが使ってもかまわない。主妇が买いこんだ文学全集を夫や子どもが読むことはいっこうにさしつかえないことだし、子どものマンガを亲が読んだっていい。表题はまったくちんぷんかんぷんであっても、夫の読んでいた経営学の本を、妻がひもといてみてもかまわないはずだ。
そして、わたしは、そういうb 密室の交换がこれからの家庭ではたいへんだいじなことであるような気がする。 * * 人间がことばで表现できるものは、きわめてかぎられている、と哲学者はいう。それは家族のなかの人间関系についても真実だ。夫妇、亲子、毎日颜をつきあわせておしゃべりは果てしなくつづけられているけれども、それによって、はたしてお互いがどれだけ「理解」しあっているかは、わからない。相手の心の深い部分が、どんな构造になっているのかは、ほんとうに、见当がつかないのである。
その见当のつかない部分を知ることはできないし、また、知る必要もない。「个人」どうしのつきあいというのは、そういうものなのだ。しかし、もしも、その心の奥深い部分をつくっているもののひとつが书物であるとするならば、まえにのべたような理由によって、お互いの书物を交换することが家庭のなかで考えられてもよいのではないか。
书物を交换する、というのは、じぶんの体験した异质の世界を见せあう、ということである。そして、だれにでも経験のあることだろうが、自分が読んでみて、ほんとうにいい本だ、と思った本は、ひとにも読ませたくなるものだ。読んでいるあいだは、完全にじぶんだけの世界だが、その世界に、じぶんの亲しいひとをひきずりこんで経験を共有したくなるのである。そういう経験の交换が、家族のそれぞれの読书生活のなかでおこなわれるのは、すばらしいことだ。
ひとの日记や私信を読むのは失礼なことだ。だが、书物は、いっぽうで私的でありながら、他方では共有のゆるされるものである。夫妇のあいだで、あるいは亲子のあいだで、お互いの本をとりかえて読むことで、家族は个人を尊重しながら、相互のより深い理解への道をあゆむことができるかもしれない。
この文章の要旨をまとめた次の文中の〔 〕A・Bにあてはまる适切な言叶を书きなさい。ただし、Aは后半の文章中から10字で抜き出すこと。また、Bは后半の文章中の言叶を使って、25字以上30字以内で答えること。
「家庭で书物を交换するということは、それぞれが体験した〔 A 〕ということである。このことを通して、〔 B 〕。」
しかし、家庭のなかの书物というものを考えてみると、これはずいぶん、ふしぎな品物のような気がする。なぜなら、本は家庭の备品のひとつではありながら、结局のところ、个人にぞくするものであるからだ。家庭の本棚にならんでいる何十册、あるいは何百册の本の背表纸は、家族のみんなが毎日ながめているのに、その中身は、家族共有のものではないのである。a その点で、家庭にある他のもろもろの备品と书物とは、性质がちがうのだ。
それはそれでよい。ちょうど、个室をのぞきこまないことが礼仪であるように、精神の个室ものぞきこまないほうがよいのかもしれぬ。お互い、好きな本を読んで、それぞれの世界をたのしめば、それでよい、というべきなのかもしれぬ。
しかし、本は、いっぽうで个人にぞくするものでありながら、同时に、だれでもが入ることのできる个室、つまりホテルの部屋のような社会性ももっている。だれかが使用中であるかぎり、そこにふみこんではならないが、空室になったときには、だれが使ってもかまわない。主妇が买いこんだ文学全集を夫や子どもが読むことはいっこうにさしつかえないことだし、子どものマンガを亲が読んだっていい。表题はまったくちんぷんかんぷんであっても、夫の読んでいた経営学の本を、妻がひもといてみてもかまわないはずだ。
そして、わたしは、そういうb 密室の交换がこれからの家庭ではたいへんだいじなことであるような気がする。 * * 人间がことばで表现できるものは、きわめてかぎられている、と哲学者はいう。それは家族のなかの人间関系についても真実だ。夫妇、亲子、毎日颜をつきあわせておしゃべりは果てしなくつづけられているけれども、それによって、はたしてお互いがどれだけ「理解」しあっているかは、わからない。相手の心の深い部分が、どんな构造になっているのかは、ほんとうに、见当がつかないのである。
その见当のつかない部分を知ることはできないし、また、知る必要もない。「个人」どうしのつきあいというのは、そういうものなのだ。しかし、もしも、その心の奥深い部分をつくっているもののひとつが书物であるとするならば、まえにのべたような理由によって、お互いの书物を交换することが家庭のなかで考えられてもよいのではないか。
书物を交换する、というのは、じぶんの体験した异质の世界を见せあう、ということである。そして、だれにでも経験のあることだろうが、自分が読んでみて、ほんとうにいい本だ、と思った本は、ひとにも読ませたくなるものだ。読んでいるあいだは、完全にじぶんだけの世界だが、その世界に、じぶんの亲しいひとをひきずりこんで経験を共有したくなるのである。そういう経験の交换が、家族のそれぞれの読书生活のなかでおこなわれるのは、すばらしいことだ。
ひとの日记や私信を読むのは失礼なことだ。だが、书物は、いっぽうで私的でありながら、他方では共有のゆるされるものである。夫妇のあいだで、あるいは亲子のあいだで、お互いの本をとりかえて読むことで、家族は个人を尊重しながら、相互のより深い理解への道をあゆむことができるかもしれない。
この文章の要旨をまとめた次の文中の〔 〕A・Bにあてはまる适切な言叶を书きなさい。ただし、Aは后半の文章中から10字で抜き出すこと。また、Bは后半の文章中の言叶を使って、25字以上30字以内で答えること。
「家庭で书物を交换するということは、それぞれが体験した〔 A 〕ということである。このことを通して、〔 B 〕。」
