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1.物语の始まり~地球屋にてバロンとの出会い

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雫:「クレモ‐ナってどんな街かな。素敌な街 だといいね。」 圣司:「うん、古い街だって。」
(カントリーロードが流れ始める) (场面が次々に移り変わる)
雫:「あなたは、さっきのネコくん?」
雫:「あいつは自分の才能を试しに行くの、だ ったら私も试してみる。」
雫の母:「试すって何を、あなた。」 雫の父:「あ、すまん。ついな。」
西司郎:「楽しみにまってますよ。」
バロン:「いざ、お供つかまつらん。ラピスラ ズリの鉱脉を捜す旅に。」
(テロップ:この夏、怪しいネコが素敌な爱を 届けます。)
(テロップ:耳をすませば)
(自転车乗り走る雫と圣司、雫が圣司の背中に 头をつける)
雫:「好きなひとが、できました。」
これは、公开前日に金曜ロードショーであっ た映画予告です。雫が物语を书くその过程が示 されていることがわかります。私は、最后の「 好きなひとが できました。」がとても好きです 。映画予告でしか闻けない、雫役:本名阳子さ んのセリフ。映画のコピーでもあります。その 初々しい声には、"思春期"を感じ今でもうっと りします。

オープニング~コンビニ
オープニングでは、都心の夜景をバックにカ ントリーロードの原曲が流れます。このカント リーロードは故郷に帰りたいと言う意味の歌词 です。 故郷と闻いて、まず思い浮かぶのは「ふるさ と」の世界でしょうか。绿がいっぱいでどこま でも澄んだ空気、车の音は闻こえず、风の音、 川の流れる音、子供たちの歓声が闻こえます。 しかし、现代の日本においては空想にすぎま せん。都会に生まれた人にとっては、星も见え ない、いつも明るい、コンクリートジャングル が故郷なのです。 雫にとっても、绿あふれる农村や青い海は故 郷でなく、新兴住宅地の団地こそがカントリー (故郷)なのです。 このオープニングは「故郷って何?」という问 いかけだと考えます。
コンビニは现代の都市生活にはかかせません 。コンビニエンスストアは24时间営业ですが 、当初は画期的で世间の注目を集めたと思われ ます(详しくは知りませんが)。しかし、今は 当たり前の存在となり、24时间営业も当たり 前になりました。24时间営业していないと「 なんで?」と疑问を抱くほどです。 雫は1994年时点で中学3年生、1979 年8月~1980年3月生まれのコンビニ世代 です。小さい顷から惯れ亲しんでいると思われ ます。この映画にはコンビニは出てきますが、 スーパーは出てきません(せいぜい生协の名前 くらい)。 このコンビニは、现代の都会生活と、そこに 住むものの故郷の风景の一つとしての象徴的な 役割を担っていると思われます。

図书カード
映画中で雫の父:靖也が「わが図书馆もつい にバーコード化するんだよ。准备に大騒ぎさ」 と言っています。现代の大型図书馆では図书カ ードは过去のものとなっています。私の世代で は小学校、中学校、高校とずっと図书カードが ありました。しかし、大学の図书馆は全てバー コードでした。IDカードは学生证でした。やは り、その蔵书数が多くなると在库管理が大変に なるのでしょう。 雫は「やっぱり、変えちゃうの?私、カード の方が好き」といい、父靖也も、「仆もそうだ けどね」とあいづちを打ちます。 私は小学校のとき、本を借りた时に図书カー ドを见て谁が借りていたのか见るのが好きでし た。たくさん借りられていれば、面白い本だと いう选び方もできました。高校のときは个人図 书カードだったのですが、阅覧に来ただけで书 き込まなければならなかったので、逆に利用し 阅覧だけで3年间に何十枚の个人図书カードを 作らせた记忆があります。図书カードは利用す る方にとってはとても楽しく使い道のあるもの だけに、无くなるのは残念です。この効率とス ピードの时代では仕方ないのかもしれませんが


1楼2012-04-21 08:11回复
    雫は図书カードを通じて天沢圣司の存在に気が付きます。思春期だからこそ、男子
    この気が付くというのは、偶然でしょう
    の名前に目がいっただけかもしれませんが、
    私たちの身の回りにも偶然はたくさんあります。电车というものはいつも乗ってい ればわかりますが、同じ时间の同じ场所はたいてい同じ人が乗っています。そこに気 が付くのは偶然です。 雫はこの偶然を逃しませんでした。兴味を持ったのです。もしかするとこれが运命 の分かれ道かもしれません。 私たちも偶然を自分のものにすれば、运はめぐってくるのではないでしょうか?ほ んの少し兴味を持つ范囲を広げるだけで、きっと新しいことが见つかると、映画は示 唆しているようにも思えます。
    夕子と雫 (1999/01/01)
    こんな时间。夕子会うんだ」と言います。そして、急いで准
    雫は朝起きて「もう、
    备するかと思いきや、朝食のパンまで食べています。さらに、学校に着いても夕子と の待ち合わせ场所に行くわけでもなく、先に図书室に行ってしまします。雫は结局、 夕子に怒られます。雫は苦笑いをしています。
    雫はウッカリ屋さんなのかも。この性格は母亲に由来すると思われます。母亲の朝 子も出かける时に财布を忘れていたり、后に大学に遅刻しそうになったりしています
    この场面では雫の本好きが良くわかります。雫には学校→本→図书馆という思考が 働いているようです。 一方、夕子は时间どおりに学校についているようです。彼女はシッカリ者でしょう
    15分も太阳の下にいたと怒っています。 雫と夕子はいいコンビです。”ウッカリ者”と”シッカリ者”、そして后にわかります が”明るい”と”内気”です。互いに补いあっている関系は良いコンビの典型です。
    カントリー・ロードとコンクリート・ロード (1999/01/01)
    雫は初めてカントリー・ロードの訳をします。このときの訳は雫自身が「やってみ たけど、上手く行かないよ。英语のままでやったら」と言います。雫が初めて訳した カントリーロードは、ほとんど直訳でした。雫は英语の诗に対して、その内容に実感 が持てないまま訳していたのしょう。これは、雫が故郷と言うものが何なのか実感し ていないためだと思われます。夕子は悪くないといいますが、おそらくメロディーに あっていたのでそう言ったのでしょう。结局、雫自身が纳得できないものでした。
    雫は「こんなのも作った」と言ってコンクリートロードを夕子に见せます。夕子は 「何これ~!?」といい、雫と一绪に大笑いします。雫も冗谈で作ったのでしょうが 、その歌词には実感がこもっているように思います。雫が客観化できる范囲で词を作 った结果がコンクリート・ロードなのです。 カントリー・ロード/コンクリート・ロードこの2つの词は雫の试行错误の结果と いう点でつながりが出て


    2楼2012-04-21 08:15
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      2025-06-05 21:44:40
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      雫は図书カードを通じて天沢圣司の存在に気が付きます。思春期だからこそ、男子
      この気が付くというのは、偶然でしょう
      の名前に目がいっただけかもしれませんが、
      私たちの身の回りにも偶然はたくさんあります。电车というものはいつも乗ってい ればわかりますが、同じ时间の同じ场所はたいてい同じ人が乗っています。そこに気 が付くのは偶然です。 雫はこの偶然を逃しませんでした。兴味を持ったのです。もしかするとこれが运命 の分かれ道かもしれません。 私たちも偶然を自分のものにすれば、运はめぐってくるのではないでしょうか?ほ んの少し兴味を持つ范囲を広げるだけで、きっと新しいことが见つかると、映画は示 唆しているようにも思えます。
      夕子と雫 (1999/01/01)
      こんな时间。夕子会うんだ」と言います。そして、急いで准
      雫は朝起きて「もう、
      备するかと思いきや、朝食のパンまで食べています。さらに、学校に着いても夕子と の待ち合わせ场所に行くわけでもなく、先に図书室に行ってしまします。雫は结局、 夕子に怒られます。雫は苦笑いをしています。
      雫はウッカリ屋さんなのかも。この性格は母亲に由来すると思われます。母亲の朝 子も出かける时に财布を忘れていたり、后に大学に遅刻しそうになったりしています
      この场面では雫の本好きが良くわかります。雫には学校→本→図书馆という思考が 働いているようです。 一方、夕子は时间どおりに学校についているようです。彼女はシッカリ者でしょう
      15分も太阳の下にいたと怒っています
      夕子の相谈~帰り道 (1999/01/01)
      夕子は雫に相谈します。好きな人がいる、でもラブレターをもらったと。 雫达はやっぱり思春期、関心事は恋と受験ですね。夕子は内気なだけに杉村に告白 できない、そしてラブレターをもらった同级生に告白を断る勇気がない。雫は「付き 合ってみたら」とか半分茶化しぎみに言っています。结局、夕子には解决にそう役に
      こういう场合、内気な夕子は自分の问题として、自分が纳得でき
      立ちませんでした。
      るまで考えるしかないでしょう。夕子が「やっぱり、もう少し考えてみる」と言った のは妥当な解决法です。雫もそういう夕子の性格がわかっているから、强引に考えを 押し付けたりせずにに茶化したのでしょう。
      内気という性格は、私はこう思っています。周りに流されず、物事をよく考え、考え がまとまれば自分の思うとおりに行动する。相谈はしても、その解决を求めているの でなく、不安を他人にぶつけることで自分の気持ちを冷静にする。夕子の性格は大体 この考えにあてはまります。


      3楼2012-04-21 08:17
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        夕子は杉村が近寄って来たとき、思わず立ち 上がって走り去りました。耻ずかしい気持ちを 振り绞ってラブレターをもらったとか杉村が好 きとか话しているときに、当人に不意に近寄っ てこられたので、思わず逃げたのでしょう。ほ とんど反射です。初々しさが感じとられて楽し い场面です。同时に时代が过ぎ去った人にはあ の顷が懐かしいと感じる场面でもあります。
        圣司と雫の出会い (1999/01/09修正)
        雫はうっかり借りた本を忘れてしまいます。 学校に戻るとそこには少年が座っていて、雫の 忘れた本をよんでいました。少年は天沢圣司な のですが、それが分かるのは后のこと。
        圣司は本を见て月岛雫の借りた本だと気付き ます。圣司は雫が好きなのですが、この场面で は素直ではありません。さも、兴味なさそうに しています。きっと、好きだという気持ちが雫 にばれるのが怖いのでしょう。そのせいか、雫 に「コンクリート・ロードは止めたほうがいい ぜ」なんて、强がって言っています。ただ、恋 心を気付かれたくないだけなのに、雫を嫌って いるように振る舞い、自爆しています。 雫は、知らない人间にいきなり自分の领域を 踏まれたために、头に来てしまっています。「 やなやつ、やなやつ」と、いいながら帰る时バ ックにコンクリート・ロード(注:雫の作词曲 ではありません)が流れ、思わず爆笑していま いました。
        结局、圣司と雫は最悪の出会い方によって、 近づくどころか距离が开いてしまいました。で も、とりあえず雫が圣司の颜を知ったという意 味では近づいたのかもしれません。
        今、やるとこ~ (1999/01/01)
        家に帰ってきて、雫は麦茶の一気饮みで気持 ちを静めると、すぐ物语に入り込んでしまいま す。姉の汐が帰ってきて、朝食をかたずけてい ないのを注意されると雫は「今、やるとこ~」 といいます。
        反抗期です。すっかり忘れていたことを言い 訳するなんて。反抗期では自分に干渉されるこ とが非常に勘にさわります。冷静になって余裕 を持つことができず、中途半端に知恵もついて いますから、周りからはとても生意気にみえま す。本人にしてみれば、いつまでも子供扱いし て欲しくないと思っています。雫の姉:汐は何 も言わない亲に替わって、やたらとやかましく 言う普通の家の母亲になっています。しかも、 シッカリしていてテキパキと何でもこなすので 、雫には本当にうるさい存在なのでしょう。
        向原駅へ (1999/01/09)
        朝、雫はお父さんへのお弁当配达を断りきれ ず、向原駅へゆきました。 雫はお弁当配达を嫌がっていたにも関わらず 、足取りはいやに軽やかです。玄関を出て下に 降りた时、汐に邮便を出すように呼び止められ ましたが、もう、ニコニコでした。好きな図书 馆へ行けるうれしさに违いありません。もう、 この时の雫の头の中はきっと「本!」が90% でしょう。一応、クリップをはずして邮便を出 しましたから、まだ、余裕はあるようです。
        ネコくん、ひとり? (1999/01/11修正)
        「ネコくん、ひとり?、どこまで行くの」电 车の中で雫がネコに话し挂けます。 雫の空想家の一面が伺えます。雫は声を出し て话し挂けましたが、実际のところ心の声なの かもしれません。 一人で电车に乗ったとき、电车の中は本当に 良い空想场所になります。车窓を流れる景色は 自分が映画の中にいる感覚を与えてくれますし 、电车のモーター音はBGMになります。私も 毎日电车に乗っていますが、人が少なく静かで ぽかぽかしている时にそんな気分になります。 雫が后で言うように本当に物语が始まりそうで 、わくわくします。
        この场面では、初めてムーンが登场しますね 。ムーンはわざとらしく知らん振りが、なかな か良いです。


        4楼2012-04-21 08:19
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          雫のセリフに対するムーンのセリフを考えてみ
          (フィクションです)
          ました。
          ムーン:「うにゃ、あいてる」(座席にのる) 雫:「ネコくん一人?」 ムーン:「お、変なヤツがひとり、无视しよう にゃ」(别の方を向く) 雫:「どこまでいくの?」 ムーン:「ちょっと、そこまで・・・にきまっ てるにゃ」 雫:「外おもしろい?」 ムーン:「もちろんにゃ、面白くなかったらみ ないにゃ」 雫:「お~い、答えてよ!」 ムーン:「うんにゃ、答えん」 ムーン:「まったく、しつこいヤツにゃ。お、 デパートが见えてきたにゃ。もうすぐにゃ」 ムーン:「もう、安心」(座席に座る) 雫:「私、ここで降りるの。きみは?」 雫:「じゃあね、ネコくん」 ムーン:「そんなに早く降りなくても、だいじ ょうぶにゃのに」

          ネコをおいかけて(1) (1999/01/11)
          雫はネコが一绪に降りたのを见て、ネコを追 いかけようとしますが、駅前で见失いました。 雫の目は完全に子供になっています。止める亲 もいませんから、どんどん追いかけて行きます 。
          子供は基本的に目の前のものしか见えていま せん、そのため、いくら飞び出しは危ないよと 亲に教えられていても、ボールを追いかけてい れば、ボールにしか目が行かず、集中力もそこ にしか発挥されません。子供が突然道に飞び出 すのはそのためでしょう。 この时の雫も、周りに见られている耻ずかし さはまったくなく、ネコだけを见て追いかけて いるようです。この子供っぽい状态は、雫が、 物语の流れにおいてまだ成长前の状态であるこ とを端的に示していると思われます。 しかし、自动改札をすばやくすり抜け、駅前 の信号で止まったので、さすがはお姉さんかも しれません。

          ネコをおいかけて(2) (1999/01/11)
          结局、信号が変わった后はネコを见つけるこ とができませんでした。しかし、図书馆の下に ネコを见つけると再び追迹を开始します。 この时の雫の行动には恐れ入ります。図书馆 の横をすり抜け、塀をよじ登って追いかけてゆ きました。ここは子供の顷を思い出させてくれ る场面です。塀までよじ登って追いかける场面 は、鬼ごっこ。あの狭く暗い坂道は探険队ごっ こを思い出させます。「だだっ広い见通しのよ い道を走っていても何にも楽しくないが、狭い 道はその先がわからないため走っていてとても 楽しい」そんな感覚も与えてくれます。

          ネコをおいかけて(3) (1999/01/17修正)
          犬の鸣き声で再びムーンを见つけ追いかけま す。ネコが犬をからかっているのをみて雫はよ うやくわれにかえりました。 ネコをみつけ「この辺に住んでるの?」と言 うところは、「み~つけた!」の感覚です。そ して「丘の上にこんな所があるなんて知らなか った」と言います。この场面では、雫は故郷を 少し発见します。知っているつもりの土地でも 、やっぱり知らないところがある、まだまだ奥 は深いと。
          普段は、暮らしている范囲の中で自分の中の 故郷は完结してしまっています。それだけに、 见なれた风景はいつまでたっても変わらず何一 つ客観化できません。しかし、故郷に新しい风 景など良いことろを见つけることで、それまで の故郷はなんだったのかと客観化でき、爱着が 沸いてくるのではないかと思います。

          (1999/01/17)
          地球屋にて(1)
          地球屋は不思议なお店です。入り口にはイノ シシとも乙事主ともつかない金色の人形が置い てあります。中にも见事な雕刻などアンティー
          このお店は见る限り、値札
          クがいっぱいです。
          もなにもありません。突然、ぬっと现れたご主
          「自由に见てやってください」
          人、西司郎は、
          どちらかといえばギャ
          と言っていることから、
          ラリーのようです。


          5楼2012-04-21 08:21
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            雫のセリフに対するムーンのセリフを考えてみ
            (フィクションです)
            ました。
            ムーン:「うにゃ、あいてる」(座席にのる) 雫:「ネコくん一人?」 ムーン:「お、変なヤツがひとり、无视しよう にゃ」(别の方を向く) 雫:「どこまでいくの?」 ムーン:「ちょっと、そこまで・・・にきまっ てるにゃ」 雫:「外おもしろい?」 ムーン:「もちろんにゃ、面白くなかったらみ ないにゃ」 雫:「お~い、答えてよ!」 ムーン:「うんにゃ、答えん」 ムーン:「まったく、しつこいヤツにゃ。お、 デパートが见えてきたにゃ。もうすぐにゃ」 ムーン:「もう、安心」(座席に座る) 雫:「私、ここで降りるの。きみは?」 雫:「じゃあね、ネコくん」 ムーン:「そんなに早く降りなくても、だいじ ょうぶにゃのに」

            ネコをおいかけて(1) (1999/01/11)
            雫はネコが一绪に降りたのを见て、ネコを追 いかけようとしますが、駅前で见失いました。 雫の目は完全に子供になっています。止める亲 もいませんから、どんどん追いかけて行きます 。
            子供は基本的に目の前のものしか见えていま せん、そのため、いくら飞び出しは危ないよと 亲に教えられていても、ボールを追いかけてい れば、ボールにしか目が行かず、集中力もそこ にしか発挥されません。子供が突然道に飞び出 すのはそのためでしょう。 この时の雫も、周りに见られている耻ずかし さはまったくなく、ネコだけを见て追いかけて いるようです。この子供っぽい状态は、雫が、 物语の流れにおいてまだ成长前の状态であるこ とを端的に示していると思われます。 しかし、自动改札をすばやくすり抜け、駅前 の信号で止まったので、さすがはお姉さんかも しれません。

            ネコをおいかけて(2) (1999/01/11)
            结局、信号が変わった后はネコを见つけるこ とができませんでした。しかし、図书馆の下に ネコを见つけると再び追迹を开始します。 この时の雫の行动には恐れ入ります。図书馆 の横をすり抜け、塀をよじ登って追いかけてゆ きました。ここは子供の顷を思い出させてくれ る场面です。塀までよじ登って追いかける场面 は、鬼ごっこ。あの狭く暗い坂道は探険队ごっ こを思い出させます。「だだっ広い见通しのよ い道を走っていても何にも楽しくないが、狭い 道はその先がわからないため走っていてとても 楽しい」そんな感覚も与えてくれます。

            ネコをおいかけて(3) (1999/01/17修正)
            犬の鸣き声で再びムーンを见つけ追いかけま す。ネコが犬をからかっているのをみて雫はよ うやくわれにかえりました。 ネコをみつけ「この辺に住んでるの?」と言 うところは、「み~つけた!」の感覚です。そ して「丘の上にこんな所があるなんて知らなか った」と言います。この场面では、雫は故郷を 少し発见します。知っているつもりの土地でも 、やっぱり知らないところがある、まだまだ奥 は深いと。
            普段は、暮らしている范囲の中で自分の中の 故郷は完结してしまっています。それだけに、 见なれた风景はいつまでたっても変わらず何一 つ客観化できません。しかし、故郷に新しい风 景など良いことろを见つけることで、それまで の故郷はなんだったのかと客観化でき、爱着が 沸いてくるのではないかと思います。

            (1999/01/17)
            地球屋にて(1)
            地球屋は不思议なお店です。入り口にはイノ シシとも乙事主ともつかない金色の人形が置い てあります。中にも见事な雕刻などアンティー
            このお店は见る限り、値札
            クがいっぱいです。
            もなにもありません。突然、ぬっと现れたご主
            「自由に见てやってください」
            人、西司郎は、
            どちらかといえばギャ
            と言っていることから、
            ラリーのようです。


            6楼2012-04-21 08:23
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              こんな、お店が近くにあったら素敌でしょう ね。晴れて暖かい休日の午后、人工的な音のな い静かな店内は、使い込まれた木制品の独特の
              ご主人と集まった人々は红茶を
              においがして、
              饮みながら、落ち着いた楽しい会话に兴じてい るような雰囲気があります。 西老人もきっとこんな悠々自适な日常を送っ ていると想像してしまいます。こんな老后は理 想ですね。
              雫は地球屋でバロンを见付けました。バロン は本名をフンベルト・フォン・ジッキンゲン男 爵と言います。男爵とは爵位(しゃくい)で公 ・候・伯・子に次ぐ第五位ですので、名誉ある 贵族阶级に属するようです。西老人は「男爵も 退屈しているだろうから」と言っていることか ら、人形とはいえ人格(ネコ格?)があるよう です。 雫が「あなたはさっきのネコくん?」と访ね ると、一瞬バロンはまるで返事をしたかのよう に见えました。これは雫の想像の产物にすぎま せんが、バロンに人格を感じることができるな らば、バロンは本当に返事を返していたのかも しれません。
              地球屋にて(2) (1999/01/17)
              西老人は修理していた部品をドワーフの时计 に付けました。时计は12时を示し、时计の中で 物语が缲り広げられます。この物语について西 老人は「きっと、届かぬ恋をしていたんだよ」 「住む世界が违うんだよ」と话していました。 地下で鉱脉を掘っているドワーフは、时计を 作った职人、エルフは王宫贵族の娘でしょうか
              ふとした事で二人は出逢い、秘密裏に爱をはぐ くんでいたのですが、身分の违いから结婚は许 される訳はなく、苦しんでいたに违いありませ ん。この职人とエルフの娘の物语にはきっと続 きがあるのでしょうが、その结末はご想像にお まかせします。
              図书馆へいそげ (1999/01/17)
              雫はふとわれにかえり、お弁当を忘れたまま 慌てて図书馆へ向いました。雫はうれしさで完 全に舞い上がっています。一方、地球屋からは 圣司が追いかけてきました。 圣司はまたしても、雫をバカにするような态 度をとり、2度目の自爆を果たします。雫は现 実に引き戻された上に、ヤなヤツにまたしても バカにされ、カンカンです。この时の雫の表情 がピクピクしているのが面白いです。
              ところで、圣司は「おまえの弁当でかいんだ な」と言いますが、そんなことをネタにバカに するとは、案外古风な圣司クンです。别にお弁 当がでかくてもどうでもいいような気もします が・・・、他に照れ隠しに使うネタがなかった のでしょう。
              (1999/01/17)
              雫の想像
              雫はお父さんにお弁当を渡すと、本を持って きて読みはじめます。そこにはやはり天沢圣司 の名前がありました。圣司を想像しようとする と、相当インパクトが强かったのでしょうか、 さっきのヤナやつの姿が浮かんできました。雫 は思わず「违う!」と叫び、周りの注目を集め てしまいました。 この、思わず声が出るというのは时々あるも ので、自分が想像に世界にどっぷり渍かってし まっているときや、细かい计算をしている时に そうなります。この时、我に返るととても耻ず かしくなります。雫の场合、注目まで集めてし まったので、相当バツがわるかったことかと。 思わず同情してしまいます。
              雫は圣司にますます强い兴味を示すようにな っています。知っている人物だと、まったく気 にもしないのですが、知らないだけに想像が働 き、必要以上に相手を美化してしまいます。想 像は楽しいものです。自分を中心に据えて考え ることができますから、都合のいいカタチにで きます。相手から危害が加わることも、心を伤 つけられることもありません。この时の雫の头 には、きっと何もかもが完璧な圣司像が出来あ がっていたに违いありません。
              ミストラル (1999/01/17)
              雫が図书馆で遅い昼食を取っていると、外で は强い风が吹いています。帰り道には帽子が飞 ばされそうになるほど强くなり、远くでは雷も 鸣っています。 この风は、毎年8月下旬になると吹きはじめ
              この风が吹き始めると朝晩は几分気温が
              ます。
              下がり始めます。暑い夏の终わりを告げ、凉し い秋を呼ぶ风になりますが、ほっとすると同时 にせつなくなる风です。 ミストラルとは南フランスに吹く乾燥した冷
              この场面では、この言
              たい北风になりますが、
              叶の持つ雰囲気が私のイメージに合ってしまい ました。


              7楼2012-04-21 08:24
              回复
                不懂、、


                8楼2012-04-21 16:01
                回复
                  2025-06-05 21:38:40
                  广告
                  雫:「クレモ‐ナってどんな街かな。素敌な街 だといいね。」 圣司:「うん、古い街だって。 」
                  (カントリーロードが流れ始める) (场面が次 々に移り変わる)
                  雫:「あなたは、さっきのネコくん?」
                  雫:「あいつは自分の才能を试しに行くの、だ ったら私も试してみる。」
                  雫の母:「试すって何を、あなた。」 雫の父: 「あ、すまん。ついな。」
                  西司郎:「楽しみにまってますよ。」
                  バロン:「いざ、お供つかまつらん。ラピスラ ズリの鉱脉を捜す旅に。」
                  (テロップ:この夏、怪しいネコが素敌な爱を 届けます。)
                  (テロップ:耳をすませば)
                  (自転车乗り走る雫と圣司、雫が圣司の背中に 头をつける)
                  雫:「好きなひとが、できました。」
                  これは、公开前日に金曜ロードショーであっ た 映画予告です。雫が物语を书くその过程が示 さ れていることがわかります。私は、最后の「 好 きなひとが できました。」がとても好きです 。映画予告でしか闻けない、雫役:本名阳子さ んのセリフ。映画のコピーでもあります。その 初々しい声には、"思春期"を感じ今でもうっと りします。

                  オープニング~コンビニ
                  オープニングでは、都心の夜景をバックにカ ン トリーロードの原曲が流れます。このカント リ ーロードは故郷に帰りたいと言う意味の歌词 で す。 故郷と闻いて、まず思い浮かぶのは「ふる さ と」の世界でしょうか。绿がいっぱいでどこ ま でも澄んだ空気、车の音は闻こえず、风の音 、 川の流れる音、子供たちの歓声が闻こえます 。 しかし、现代の日本においては空想にすぎま せん。都会に生まれた人にとっては、星も见え ない、いつも明るい、コンクリートジャングル が故郷なのです。 雫にとっても、绿あふれる农 村や青い海は故 郷でなく、新兴住宅地の団地こ そがカントリー (故郷)なのです。 このオー プニングは「故郷って何?」という问 いかけだ と考えます。
                  コンビニは现代の都市生活にはかかせません 。 コンビニエンスストアは24时间営业ですが 、 当初は画期的で世间の注目を集めたと思われ ま す(详しくは知りませんが)。しかし、今は 当 たり前の存在となり、24时间営业も当たり 前 になりました。24时间営业していないと「 な んで?」と疑问を抱くほどです。 雫は1994 年时点で中学3年生、1979 年8月~198 0年3月生まれのコンビニ世代 です。小さい顷 から惯れ亲しんでいると思われ ます。この映画 にはコンビニは出てきますが、 スーパーは出て きません(せいぜい生协の名前 くらい)。 こ のコンビニは、现代の都会生活と、そこに 住む ものの故郷の风景の一つとしての象徴的な 役割 を担っていると思われます。

                  図书カード
                  映画中で雫の父:靖也が「わが図书馆もつい に バーコード化するんだよ。准备に大騒ぎさ」 と 言っています。现代の大型図书馆では図书カ ー ドは过去のものとなっています。私の世代で は 小学校、中学校、高校とずっと図书カードが あ りました。しかし、大学の図书馆は全てバー コ ードでした。IDカードは学生证でした。やは り 、その蔵书数が多くなると在库管理が大変に な るのでしょう。 雫は「やっぱり、変えちゃうの ?私、カード の方が好き」といい、父靖也も、 「仆もそうだ けどね」とあいづちを打ちます。 私は小学校のとき、本を借りた时に図书カー ド を见て谁が借りていたのか见るのが好きでし た 。たくさん借りられていれば、面白い本だと い う选び方もできました。高校のときは个人図 书 カードだったのですが、阅覧に来ただけで书 き 込まなければならなかったので、逆に利用し 阅 覧だけで3年间に何十枚の个人図书カードを 作 らせた记忆があります。図书カードは利用す る 方にとってはとても楽しく使い道のあるもの だ けに、无くなるのは残念です。この効率とス ピ ードの时代では仕方ないのかもしれませんが


                  9楼2012-04-21 23:13
                  回复
                    雫:「クレモ‐ナってどんな街かな。素敌な街 だといいね。」 圣司:「うん、古い街だって。 」
                    (カントリーロードが流れ始める) (场面が次 々に移り変わる)
                    雫:「あなたは、さっきのネコくん?」
                    雫:「あいつは自分の才能を试しに行くの、だ ったら私も试してみる。」
                    雫の母:「试すって何を、あなた。」 雫の父: 「あ、すまん。ついな。」
                    西司郎:「楽しみにまってますよ。」
                    バロン:「いざ、お供つかまつらん。ラピスラ ズリの鉱脉を捜す旅に。」
                    (テロップ:この夏、怪しいネコが素敌な爱を 届けます。)
                    (テロップ:耳をすませば)
                    (自転车乗り走る雫と圣司、雫が圣司の背中に 头をつける)
                    雫:「好きなひとが、できました。」
                    これは、公开前日に金曜ロードショーであっ た 映画予告です。雫が物语を书くその过程が示 さ れていることがわかります。私は、最后の「 好 きなひとが できました。」がとても好きです 。映画予告でしか闻けない、雫役:本名阳子さ んのセリフ。映画のコピーでもあります。その 初々しい声には、"思春期"を感じ今でもうっと りします。

                    オープニング~コンビニ
                    オープニングでは、都心の夜景をバックにカ ン トリーロードの原曲が流れます。このカント リ ーロードは故郷に帰りたいと言う意味の歌词 で す。 故郷と闻いて、まず思い浮かぶのは「ふる さ と」の世界でしょうか。绿がいっぱいでどこ ま でも澄んだ空気、车の音は闻こえず、风の音 、 川の流れる音、子供たちの歓声が闻こえます 。 しかし、现代の日本においては空想にすぎま せん。都会に生まれた人にとっては、星も见え ない、いつも明るい、コンクリートジャングル が故郷なのです。 雫にとっても、绿あふれる农 村や青い海は故 郷でなく、新兴住宅地の団地こ そがカントリー (故郷)なのです。 このオー プニングは「故郷って何?」という问 いかけだ と考えます。
                    コンビニは现代の都市生活にはかかせません 。 コンビニエンスストアは24时间営业ですが 、 当初は画期的で世间の注目を集めたと思われ ま す(详しくは知りませんが)。しかし、今は 当 たり前の存在となり、24时间営业も当たり 前 になりました。24时间営业していないと「 な んで?」と疑问を抱くほどです。 雫は1994 年时点で中学3年生、1979 年8月~198 0年3月生まれのコンビニ世代 です。小さい顷 から惯れ亲しんでいると思われ ます。この映画 にはコンビニは出てきますが、 スーパーは出て きません(せいぜい生协の名前 くらい)。 こ のコンビニは、现代の都会生活と、そこに 住む ものの故郷の风景の一つとしての象徴的な 役割 を担っていると思われます。

                    図书カード
                    映画中で雫の父:靖也が「わが図书馆もつい に バーコード化するんだよ。准备に大騒ぎさ」 と 言っています。现代の大型図书馆では図书カ ー ドは过去のものとなっています。私の世代で は 小学校、中学校、高校とずっと図书カードが あ りました。しかし、大学の図书馆は全てバー コ ードでした。IDカードは学生证でした。やは り 、その蔵书数が多くなると在库管理が大変に な るのでしょう。 雫は「やっぱり、変えちゃうの ?私、カード の方が好き」といい、父靖也も、 「仆もそうだ けどね」とあいづちを打ちます。 私は小学校のとき、本を借りた时に図书カー ド を见て谁が借りていたのか见るのが好きでし た 。たくさん借りられていれば、面白い本だと い う选び方もできました。高校のときは个人図 书 カードだったのですが、阅覧に来ただけで书 き 込まなければならなかったので、逆に利用し 阅 覧だけで3年间に何十枚の个人図书カードを 作 らせた记忆があります。図书カードは利用す る 方にとってはとても楽しく使い道のあるもの だ けに、无くなるのは残念です。この効率とス ピ ードの时代では仕方ないのかもしれませんが


                    10楼2012-04-21 23:14
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                      雫:「クレモ‐ナってどんな街かな。素敌な街 だといいね。」 圣司:「うん、古い街だって。 」
                      (カントリーロードが流れ始める) (场面が次 々に移り変わる)
                      雫:「あなたは、さっきのネコくん?」
                      雫:「あいつは自分の才能を试しに行くの、だ ったら私も试してみる。」
                      雫の母:「试すって何を、あなた。」 雫の父: 「あ、すまん。ついな。」
                      西司郎:「楽しみにまってますよ。」
                      バロン:「いざ、お供つかまつらん。ラピスラ ズリの鉱脉を捜す旅に。」
                      (テロップ:この夏、怪しいネコが素敌な爱を 届けます。)
                      (テロップ:耳をすませば)
                      (自転车乗り走る雫と圣司、雫が圣司の背中に 头をつける)
                      雫:「好きなひとが、できました。」
                      これは、公开前日に金曜ロードショーであっ た 映画予告です。雫が物语を书くその过程が示 さ れていることがわかります。私は、最后の「 好 きなひとが できました。」がとても好きです 。映画予告でしか闻けない、雫役:本名阳子さ んのセリフ。映画のコピーでもあります。その 初々しい声には、"思春期"を感じ今でもうっと りします。

                      オープニング~コンビニ
                      オープニングでは、都心の夜景をバックにカ ン トリーロードの原曲が流れます。このカント リ ーロードは故郷に帰りたいと言う意味の歌词 で す。 故郷と闻いて、まず思い浮かぶのは「ふる さ と」の世界でしょうか。绿がいっぱいでどこ ま でも澄んだ空気、车の音は闻こえず、风の音 、 川の流れる音、子供たちの歓声が闻こえます 。 しかし、现代の日本においては空想にすぎま せん。都会に生まれた人にとっては、星も见え ない、いつも明るい、コンクリートジャングル が故郷なのです。 雫にとっても、绿あふれる农 村や青い海は故 郷でなく、新兴住宅地の団地こ そがカントリー (故郷)なのです。 このオー プニングは「故郷って何?」という问 いかけだ と考えます。
                      コンビニは现代の都市生活にはかかせません 。 コンビニエンスストアは24时间営业ですが 、 当初は画期的で世间の注目を集めたと思われ ま す(详しくは知りませんが)。しかし、今は 当 たり前の存在となり、24时间営业も当たり 前 になりました。24时间営业していないと「 な んで?」と疑问を抱くほどです。 雫は1994 年时点で中学3年生、1979 年8月~198 0年3月生まれのコンビニ世代 です。小さい顷 から惯れ亲しんでいると思われ ます。この映画 にはコンビニは出てきますが、 スーパーは出て きません(せいぜい生协の名前 くらい)。 こ のコンビニは、现代の都会生活と、そこに 住む ものの故郷の风景の一つとしての象徴的な 役割 を担っていると思われます。

                      図书カード
                      映画中で雫の父:靖也が「わが図书馆もつい に バーコード化するんだよ。准备に大騒ぎさ」 と 言っています。现代の大型図书馆では図书カ ー ドは过去のものとなっています。私の世代で は 小学校、中学校、高校とずっと図书カードが あ りました。しかし、大学の図书馆は全てバー コ ードでした。IDカードは学生证でした。やは り 、その蔵书数が多くなると在库管理が大変に な るのでしょう。 雫は「やっぱり、変えちゃうの ?私、カード の方が好き」といい、父靖也も、 「仆もそうだ けどね」とあいづちを打ちます。 私は小学校のとき、本を借りた时に図书カー ド を见て谁が借りていたのか见るのが好きでし た 。たくさん借りられていれば、面白い本だと い う选び方もできました。高校のときは个人図 书 カードだったのですが、阅覧に来ただけで书 き 込まなければならなかったので、逆に利用し 阅 覧だけで3年间に何十枚の个人図书カードを 作 らせた记忆があります。図书カードは利用す る 方にとってはとても楽しく使い道のあるもの だ けに、无くなるのは残念です。この効率とス ピ ードの时代では仕方ないのかもしれませんが


                      11楼2012-04-21 23:14
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                        雫:「クレモ‐ナってどんな街かな。素敌な街 だといいね。」 圣司:「うん、古い街だって。 」
                        (カントリーロードが流れ始める) (场面が次 々に移り変わる)
                        雫:「あなたは、さっきのネコくん?」
                        雫:「あいつは自分の才能を试しに行くの、だ ったら私も试してみる。」
                        雫の母:「试すって何を、あなた。」 雫の父: 「あ、すまん。ついな。」
                        西司郎:「楽しみにまってますよ。」
                        バロン:「いざ、お供つかまつらん。ラピスラ ズリの鉱脉を捜す旅に。」
                        (テロップ:この夏、怪しいネコが素敌な爱を 届けます。)
                        (テロップ:耳をすませば)
                        (自転车乗り走る雫と圣司、雫が圣司の背中に 头をつける)
                        雫:「好きなひとが、できました。」
                        これは、公开前日に金曜ロードショーであっ た 映画予告です。雫が物语を书くその过程が示 さ れていることがわかります。私は、最后の「 好 きなひとが できました。」がとても好きです 。映画予告でしか闻けない、雫役:本名阳子さ んのセリフ。映画のコピーでもあります。その 初々しい声には、"思春期"を感じ今でもうっと りします。

                        オープニング~コンビニ
                        オープニングでは、都心の夜景をバックにカ ン トリーロードの原曲が流れます。このカント リ ーロードは故郷に帰りたいと言う意味の歌词 で す。 故郷と闻いて、まず思い浮かぶのは「ふる さ と」の世界でしょうか。绿がいっぱいでどこ ま でも澄んだ空気、车の音は闻こえず、风の音 、 川の流れる音、子供たちの歓声が闻こえます 。 しかし、现代の日本においては空想にすぎま せん。都会に生まれた人にとっては、星も见え ない、いつも明るい、コンクリートジャングル が故郷なのです。 雫にとっても、绿あふれる农 村や青い海は故 郷でなく、新兴住宅地の団地こ そがカントリー (故郷)なのです。 このオー プニングは「故郷って何?」という问 いかけだ と考えます。
                        コンビニは现代の都市生活にはかかせません 。 コンビニエンスストアは24时间営业ですが 、 当初は画期的で世间の注目を集めたと思われ ま す(详しくは知りませんが)。しかし、今は 当 たり前の存在となり、24时间営业も当たり 前 になりました。24时间営业していないと「 な んで?」と疑问を抱くほどです。 雫は1994 年时点で中学3年生、1979 年8月~198 0年3月生まれのコンビニ世代 です。小さい顷 から惯れ亲しんでいると思われ ます。この映画 にはコンビニは出てきますが、 スーパーは出て きません(せいぜい生协の名前 くらい)。 こ のコンビニは、现代の都会生活と、そこに 住む ものの故郷の风景の一つとしての象徴的な 役割 を担っていると思われます。

                        図书カード
                        映画中で雫の父:靖也が「わが図书馆もつい に バーコード化するんだよ。准备に大騒ぎさ」 と 言っています。现代の大型図书馆では図书カ ー ドは过去のものとなっています。私の世代で は 小学校、中学校、高校とずっと図书カードが あ りました。しかし、大学の図书馆は全てバー コ ードでした。IDカードは学生证でした。やは り 、その蔵书数が多くなると在库管理が大変に な るのでしょう。 雫は「やっぱり、変えちゃうの ?私、カード の方が好き」といい、父靖也も、 「仆もそうだ けどね」とあいづちを打ちます。 私は小学校のとき、本を借りた时に図书カー ド を见て谁が借りていたのか见るのが好きでし た 。たくさん借りられていれば、面白い本だと い う选び方もできました。高校のときは个人図 书 カードだったのですが、阅覧に来ただけで书 き 込まなければならなかったので、逆に利用し 阅 覧だけで3年间に何十枚の个人図书カードを 作 らせた记忆があります。図书カードは利用す る 方にとってはとても楽しく使い道のあるもの だ けに、无くなるのは残念です。この効率とス ピ ードの时代では仕方ないのかもしれませんが


                        12楼2012-04-21 23:14
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                          雫:「クレモ‐ナってどんな街かな。素敌な街 だといいね。」 圣司:「うん、古い街だって。 」
                          (カントリーロードが流れ始める) (场面が次 々に移り変わる)
                          雫:「あなたは、さっきのネコくん?」
                          雫:「あいつは自分の才能を试しに行くの、だ ったら私も试してみる。」
                          雫の母:「试すって何を、あなた。」 雫の父: 「あ、すまん。ついな。」
                          西司郎:「楽しみにまってますよ。」
                          バロン:「いざ、お供つかまつらん。ラピスラ ズリの鉱脉を捜す旅に。」
                          (テロップ:この夏、怪しいネコが素敌な爱を 届けます。)
                          (テロップ:耳をすませば)
                          (自転车乗り走る雫と圣司、雫が圣司の背中に 头をつける)
                          雫:「好きなひとが、できました。」
                          これは、公开前日に金曜ロードショーであっ た 映画予告です。雫が物语を书くその过程が示 さ れていることがわかります。私は、最后の「 好 きなひとが できました。」がとても好きです 。映画予告でしか闻けない、雫役:本名阳子さ んのセリフ。映画のコピーでもあります。その 初々しい声には、"思春期"を感じ今でもうっと りします。

                          オープニング~コンビニ
                          オープニングでは、都心の夜景をバックにカ ン トリーロードの原曲が流れます。このカント リ ーロードは故郷に帰りたいと言う意味の歌词 で す。 故郷と闻いて、まず思い浮かぶのは「ふる さ と」の世界でしょうか。绿がいっぱいでどこ ま でも澄んだ空気、车の音は闻こえず、风の音 、 川の流れる音、子供たちの歓声が闻こえます 。 しかし、现代の日本においては空想にすぎま せん。都会に生まれた人にとっては、星も见え ない、いつも明るい、コンクリートジャングル が故郷なのです。 雫にとっても、绿あふれる农 村や青い海は故 郷でなく、新兴住宅地の団地こ そがカントリー (故郷)なのです。 このオー プニングは「故郷って何?」という问 いかけだ と考えます。
                          コンビニは现代の都市生活にはかかせません 。 コンビニエンスストアは24时间営业ですが 、 当初は画期的で世间の注目を集めたと思われ ま す(详しくは知りませんが)。しかし、今は 当 たり前の存在となり、24时间営业も当たり 前 になりました。24时间営业していないと「 な んで?」と疑问を抱くほどです。 雫は1994 年时点で中学3年生、1979 年8月~198 0年3月生まれのコンビニ世代 です。小さい顷 から惯れ亲しんでいると思われ ます。この映画 にはコンビニは出てきますが、 スーパーは出て きません(せいぜい生协の名前 くらい)。 こ のコンビニは、现代の都会生活と、そこに 住む ものの故郷の风景の一つとしての象徴的な 役割 を担っていると思われます。

                          図书カード
                          映画中で雫の父:靖也が「わが図书馆もつい に バーコード化するんだよ。准备に大騒ぎさ」 と 言っています。现代の大型図书馆では図书カ ー ドは过去のものとなっています。私の世代で は 小学校、中学校、高校とずっと図书カードが あ りました。しかし、大学の図书馆は全てバー コ ードでした。IDカードは学生证でした。やは り 、その蔵书数が多くなると在库管理が大変に な るのでしょう。 雫は「やっぱり、変えちゃうの ?私、カード の方が好き」といい、父靖也も、 「仆もそうだ けどね」とあいづちを打ちます。 私は小学校のとき、本を借りた时に図书カー ド を见て谁が借りていたのか见るのが好きでし た 。たくさん借りられていれば、面白い本だと い う选び方もできました。高校のときは个人図 书 カードだったのですが、阅覧に来ただけで书 き 込まなければならなかったので、逆に利用し 阅 覧だけで3年间に何十枚の个人図书カードを 作 らせた记忆があります。図书カードは利用す る 方にとってはとても楽しく使い道のあるもの だ けに、无くなるのは残念です。この効率とス ピ ードの时代では仕方ないのかもしれませんが


                          13楼2012-04-21 23:17
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                            雫:「クレモ‐ナってどんな街かな。素敌な街 だといいね。」 圣司:「うん、古い街だって。 」
                            (カントリーロードが流れ始める) (场面が次 々に移り変わる)
                            雫:「あなたは、さっきのネコくん?」
                            雫:「あいつは自分の才能を试しに行くの、だ ったら私も试してみる。」
                            雫の母:「试すって何を、あなた。」 雫の父: 「あ、すまん。ついな。」
                            西司郎:「楽しみにまってますよ。」
                            バロン:「いざ、お供つかまつらん。ラピスラ ズリの鉱脉を捜す旅に。」
                            (テロップ:この夏、怪しいネコが素敌な爱を 届けます。)
                            (テロップ:耳をすませば)
                            (自転车乗り走る雫と圣司、雫が圣司の背中に 头をつける)
                            雫:「好きなひとが、できました。」
                            これは、公开前日に金曜ロードショーであっ た 映画予告です。雫が物语を书くその过程が示 さ れていることがわかります。私は、最后の「 好 きなひとが できました。」がとても好きです 。映画予告でしか闻けない、雫役:本名阳子さ んのセリフ。映画のコピーでもあります。その 初々しい声には、"思春期"を感じ今でもうっと りします。

                            オープニング~コンビニ
                            オープニングでは、都心の夜景をバックにカ ン トリーロードの原曲が流れます。このカント リ ーロードは故郷に帰りたいと言う意味の歌词 で す。 故郷と闻いて、まず思い浮かぶのは「ふる さ と」の世界でしょうか。绿がいっぱいでどこ ま でも澄んだ空気、车の音は闻こえず、风の音 、 川の流れる音、子供たちの歓声が闻こえます 。 しかし、现代の日本においては空想にすぎま せん。都会に生まれた人にとっては、星も见え ない、いつも明るい、コンクリートジャングル が故郷なのです。 雫にとっても、绿あふれる农 村や青い海は故 郷でなく、新兴住宅地の団地こ そがカントリー (故郷)なのです。 このオー プニングは「故郷って何?」という问 いかけだ と考えます。
                            コンビニは现代の都市生活にはかかせません 。 コンビニエンスストアは24时间営业ですが 、 当初は画期的で世间の注目を集めたと思われ ま す(详しくは知りませんが)。しかし、今は 当 たり前の存在となり、24时间営业も当たり 前 になりました。24时间営业していないと「 な んで?」と疑问を抱くほどです。 雫は1994 年时点で中学3年生、1979 年8月~198 0年3月生まれのコンビニ世代 です。小さい顷 から惯れ亲しんでいると思われ ます。この映画 にはコンビニは出てきますが、 スーパーは出て きません(せいぜい生协の名前 くらい)。 こ のコンビニは、现代の都会生活と、そこに 住む ものの故郷の风景の一つとしての象徴的な 役割 を担っていると思われます。

                            図书カード
                            映画中で雫の父:靖也が「わが図书馆もつい に バーコード化するんだよ。准备に大騒ぎさ」 と 言っています。现代の大型図书馆では図书カ ー ドは过去のものとなっています。私の世代で は 小学校、中学校、高校とずっと図书カードが あ りました。しかし、大学の図书馆は全てバー コ ードでした。IDカードは学生证でした。やは り 、その蔵书数が多くなると在库管理が大変に な るのでしょう。 雫は「やっぱり、変えちゃうの ?私、カード の方が好き」といい、父靖也も、 「仆もそうだ けどね」とあいづちを打ちます。 私は小学校のとき、本を借りた时に図书カー ド を见て谁が借りていたのか见るのが好きでし た 。たくさん借りられていれば、面白い本だと い う选び方もできました。高校のときは个人図 书 カードだったのですが、阅覧に来ただけで书 き 込まなければならなかったので、逆に利用し 阅 覧だけで3年间に何十枚の个人図书カードを 作 らせた记忆があります。図书カードは利用す る 方にとってはとても楽しく使い道のあるもの だ けに、无くなるのは残念です。この効率とス ピ ードの时代では仕方ないのかもしれませんが


                            14楼2012-04-21 23:18
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                              2025-06-05 21:32:40
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                              雫:「クレモ‐ナってどんな街かな。素敌な街 だといいね。」 圣司:「うん、古い街だって。 」
                              (カントリーロードが流れ始める) (场面が次 々に移り変わる)
                              雫:「あなたは、さっきのネコくん?」
                              雫:「あいつは自分の才能を试しに行くの、だ ったら私も试してみる。」
                              雫の母:「试すって何を、あなた。」 雫の父: 「あ、すまん。ついな。」
                              西司郎:「楽しみにまってますよ。」
                              バロン:「いざ、お供つかまつらん。ラピスラ ズリの鉱脉を捜す旅に。」
                              (テロップ:この夏、怪しいネコが素敌な爱を 届けます。)
                              (テロップ:耳をすませば)
                              (自転车乗り走る雫と圣司、雫が圣司の背中に 头をつける)
                              雫:「好きなひとが、できました。」
                              これは、公开前日に金曜ロードショーであっ た 映画予告です。雫が物语を书くその过程が示 さ れていることがわかります。私は、最后の「 好 きなひとが できました。」がとても好きです 。映画予告でしか闻けない、雫役:本名阳子さ んのセリフ。映画のコピーでもあります。その 初々しい声には、"思春期"を感じ今でもうっと りします。

                              オープニング~コンビニ
                              オープニングでは、都心の夜景をバックにカ ン トリーロードの原曲が流れます。このカント リ ーロードは故郷に帰りたいと言う意味の歌词 で す。 故郷と闻いて、まず思い浮かぶのは「ふる さ と」の世界でしょうか。绿がいっぱいでどこ ま でも澄んだ空気、车の音は闻こえず、风の音 、 川の流れる音、子供たちの歓声が闻こえます 。 しかし、现代の日本においては空想にすぎま せん。都会に生まれた人にとっては、星も见え ない、いつも明るい、コンクリートジャングル が故郷なのです。 雫にとっても、绿あふれる农 村や青い海は故 郷でなく、新兴住宅地の団地こ そがカントリー (故郷)なのです。 このオー プニングは「故郷って何?」という问 いかけだ と考えます。
                              コンビニは现代の都市生活にはかかせません 。 コンビニエンスストアは24时间営业ですが 、 当初は画期的で世间の注目を集めたと思われ ま す(详しくは知りませんが)。しかし、今は 当 たり前の存在となり、24时间営业も当たり 前 になりました。24时间営业していないと「 な んで?」と疑问を抱くほどです。 雫は1994 年时点で中学3年生、1979 年8月~198 0年3月生まれのコンビニ世代 です。小さい顷 から惯れ亲しんでいると思われ ます。この映画 にはコンビニは出てきますが、 スーパーは出て きません(せいぜい生协の名前 くらい)。 こ のコンビニは、现代の都会生活と、そこに 住む ものの故郷の风景の一つとしての象徴的な 役割 を担っていると思われます。

                              図书カード
                              映画中で雫の父:靖也が「わが図书馆もつい に バーコード化するんだよ。准备に大騒ぎさ」 と 言っています。现代の大型図书馆では図书カ ー ドは过去のものとなっています。私の世代で は 小学校、中学校、高校とずっと図书カードが あ りました。しかし、大学の図书馆は全てバー コ ードでした。IDカードは学生证でした。やは り 、その蔵书数が多くなると在库管理が大変に な るのでしょう。 雫は「やっぱり、変えちゃうの ?私、カード の方が好き」といい、父靖也も、 「仆もそうだ けどね」とあいづちを打ちます。 私は小学校のとき、本を借りた时に図书カー ド を见て谁が借りていたのか见るのが好きでし た 。たくさん借りられていれば、面白い本だと い う选び方もできました。高校のときは个人図 书 カードだったのですが、阅覧に来ただけで书 き 込まなければならなかったので、逆に利用し 阅 覧だけで3年间に何十枚の个人図书カードを 作 らせた记忆があります。図书カードは利用す る 方にとってはとても楽しく使い道のあるもの だ けに、无くなるのは残念です。この効率とス ピ ードの时代では仕方ないのかもしれませんが


                              15楼2012-04-21 23:18
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