
HISTORY:
1.幼少~学生时代
日本海に面した小さな町で育ちましたので、幼い顷から海や砂浜が一番の游び场でした。
4歳の顷には泳げるようになり、海に亲しんで育ちます。
夏休みには毎日のように海水浴をして、いつも肌は真っ黒に日焼けしていました。
海に潜って鱼や贝などを捕ったり、海钓りをしたり外で活発に游ぶ子どもでした。
そして小学校では野球部、中学校では卓球部、高専时代は硬式テニス部に所属します。
また学生时代には新闻配达や吃茶店などアルバイトもよくしました。
家庭教师の当时の私の教え子は计15人にのぼります,アルバイト収入が月に30万円以上になったこともあるほどです。
2.现在の道へ进んだきっかけ
幼少期の顷から、住宅の间取り図を描いて游んでいました。ものを作ることにいつの间にか兴味を抱くようになります。
中学生の时に「私の将来像」という作文の课题があり、そのとき自分の将来について初めて真剣に考えました。
自分は何になりたいのか?と。散々悩んだあげく辿り着いたのが『建筑家』です。それからは真っ直ぐ『建筑家』を志して歩んできました。
私が建筑学科を卒业する顷はバブル景気の真っ只中、大手ゼネコンや大手ハウスメーカーなど高待遇の优良企业に就职のチャンスも沢山ありましたが、はじめから建筑家の元で修业することを决めていましたので就职试験を受けたのは仙台の有名建筑家の事务所1社のみ。 运よく采用が决まり、建筑家の道へ足を踏み入れることになります。
3.覚悟の瞬间
建筑家の元で修业していた24歳の时、无理がたたり身体をこわしました。
すぐに退职することになり人生の岐路に立ちます。
建设会社や建材メーカー等に再就职して、建筑家になる梦を断念すべきか悩みました。
最终的には意を决して、『独立の道』を选択します。
しかし当时はまだ二级建筑士の资格しかありませんでしたし、経験の浅い24歳の若造に仕事の依頼が来るのかとても不安でした。
でも逆に若いからこそやり直しは简単だし、単身で身軽なうちに冒険するものいいかと覚悟を决めます。
そして26歳の时には一级建筑士を取得し、徐々に轨道に乗り始めるようになりました。
4.今后の目标
持论の『木造スケルトン&インフィル』という考え方を日本中に浸透させることが目标です。
今までの木造住宅は间取りに合わせて构造(骨组み)が造られてきました。
いまでも建筑士试験では间取りに合わせて构造を设计しないと合格できないのですが、 この造り方だと家が长持ちしないのです。
リフォームするのに费用が挂かり过ぎるので、 费用対効果から建替えてしまっているのが现状。
それを何とかしたいと考えて取り组んでいるのが持论の「木造スケルトン&インフィル」という考え方なのです。
つまり间取り (インフィル)と构造(スケルトン)を分けて设计します。
もしも简単にリフォームができるのならば建替えをする必要もない訳ですから家の长寿命化が図られるのです。
この考え方を日本中に広めたいと思い讲演活动を行っています。
5.日本のアカルイ未来のために
何より「自分の本当にやりたい仕事」を见つける事が大切だと思います。
やりたい仕事なら、どんなに辛くても耐えられますし、梦に向かって惜しみなく努力を続けられると思うからです。
明るい将来が见えにくい今の时代だからこそ、自分の力で未来を明るくするつもりで顽张って欲しいと思います。