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胡金铨「山中传奇」の映像空间

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IP属地:韩国1楼2014-01-13 23:21回复
    3 考察 実のところ『山中传奇』は何がいいのか良くわからないところがある。日本や欧米、香港のレベルの高い映画を见惯れている人にとっては単に冗长极まりないと见えるであろう。それではこの映画の魅力は一体どこにあるのか。それを「空间」という见地から分析してみたい。 この映画が他と比べて际立っているのはまず、歩行シーンの多さである。特に完全版では冒头の30分のほとんどが眠くなるほどの歩きっぱなしであり、全体でも3割が歩行シーンで占められている。歩行シーンの多用は他の胡金铨映画にも共通しており、时代剧なのに马をほとんど使わないという彻底ぶりにも表れている。歩行シーンで胡金铨が表现したかったことは何なのか。 通常の映画の歩行シーンは黒泽明の『用心棒』に见られるように、これから起こるべき事件の前触れとして紧张感を引き出したり、あるいは人物の孤独感をあらわすのが狙いである。ところが『山中传奇』ではただ歩くことを自体を淡々と撮る。しかも他の映画では必ず人物が主であるのが、『山中传奇』の场合その主客が転倒し、ロングショットから自然や时代建筑などの背景に歩行している人物を溶け込ませるように撮られている。これは、歩行シーンが人物ではなく设定された映像空间を引き立たせるためにあることを表している。 胡金铨は映像にこだわりを持つ映画监督でもあるが、映像のとらえ方が他の监督とは根本的に异なっている。例えば映像の美しさで定评のある、日本の三隅研次やイタリアのB・ベルトリッチ、中国の张芸谋などと比べてみよう。彼らはもちろんそれぞれ违う点も多いが、与えられた画面の枠组みの中でいかに致密な映像を构成するかという点では共通している。  胡金铨も60年代日本映画のこうした精密に构成された映像の影响を受けており、基本としては确かにそうした要素をもってはいるだろう。しかし『山中传奇』において明らかに违うのは、一见大した意味もない単なる荒野や石畳などを画面の8割にわたらせ、人物をはるか远方にぽつんと配している点にある。  それについて胡金铨は次のように语っている。  「东洋の絵には余白といういものがありますが,西洋人はこれを理解しない。わたしたちは余白が构図の一部であることを自然に受け入れます。わたしはリアリスティックといわれるものを信じていないのです。自然のコピーではなくイマジネーションのほうを信じます。」  胡金铨は映像にむしろ空白を作ることにより、画面以外の空间へのイマジネーションを引き出そうとしていたことが理解できるだろう。 これは武术アクションの扱いにも言える。同时に撮った『空山霊雨』のほうがむしろ特徴的だが、胡金铨にとってアクションとはむしろ舞踏に近い。胡金铨自身はワイヤーワークの技法を広めた监督だが、后の徐克が行っているような剧画性は与えておらず、使う场面もごく限られている。こうしたところにも、、西洋のイミテーションによるリアリズムよりも,东洋伝统であるイマジネーションの芸术を重视している姿势が窥える。  『山中传奇』でスモークを多用したことについても、次のように语っている。  「それは空间内にある意味での空白感を作り出すためだ。いまでは大势の监督がわたしを真似して、机械を用いてスモークを使用している。いったい何の目的でと寻ねると见映えがいいからと答える始末だ!私にとって目的は见映えではない。それは画面に多くの空白を持ち、空白が构図の部分なのである。」  胡金铨にとってアクションやSFは、映像空间を形成する主体ではなく、映像空间に広がりを持たせるための调味料的なものと言った方がよいであろう。 中国の絵画技法を取り入れていることは、とくにその自然描写にも端的に窥える。これは、D・リーンの『アラビアのロレンス』の大自然の描写と対比させればよいだろう。『アラビアのロレンス』では(砂漠と山河の违いはあれど)『山中传奇』と同様に広大な自然を描いている。しかし『ロレンス』で描かれる自然は人间の力の及ばない圧倒的な存在として登场し、人间はこの自然の伟大さにひれ伏すほかないという感じを抱かせる。事実、『ロレンス』では大自然に人间が挑戦、格闘する姿とその自然の雄大さが惜しみなく描かれるのである。これは『ダンス・ウィズ・ウルブス』にもいえる事だろう。  しかし『山中传奇』の自然は人间がひれ伏すような伟大なものとしてではなく、人间の背后に所与のものとしてあるものという以上には描かれない。ロングショットから人间を自然背景に溶け込ませるように延々と歩行シーンを撮ったり、笛の音によって自然や生物の営みを表现するような描写にあらわれるように、ここでは自然の背景と人间は画面の中で一体化、融合しており、人间は自然の大きな営みの循环の一部分としての存在として描かれている。胡金铨にとって自然は賛美すべきものでも格闘の対象でもなく、ただそこにかくあるものなのである (余谈だが沟口雄三氏によれば、中国の伝统的観念における自然は人间の作为が及んでいないところという意味ではなく、「自ずから然る」というように、腹が减ったら饭を食うという人间の本性や生理などの类のことを指すのだという。だから中国における自然は人间の作为も含まれるのである)。 最后に音楽についても言及しておきたい。『山中传奇』は胡金铨映画にしては珍しく音楽の比重が大きい映画であり、呉大江の豊かな広がりをもった名曲でちりばめられている。音楽は胡金铨でも他の映画では大方そうしているように、人物の感情を表现したり场面を盛り上げるために使用する。  しかし『山中传奇』において音楽は感情やストーリーの表现ではない。アクションと同じように、ここでも映像空间の表现ための音楽というものがある。通常の映画は音楽によってその映像に意味を与えようとする。しかし、『山中传奇』における歩行シーンのなだらかな音楽で特徴的なように、そうした映像空间へのそうした积极的な意味付け彻底的に拒否し、むしろ映像に表现された世界から自然とにじみ出るような、非常に受动的な音楽の使われ方がなされている。楽娘と云青の新婚生活をショットの积み重ねで撮るシーンなどはかなり音楽の比重が大きくなっているが、それでも映像の外侧から作为的に意味を与えるようなものにはなっていない。これは『ラストエンペラー』で、映像の外侧から観客の感情を意识的に盛り上げるように音楽が挿入されていることと対比すれば明らかであろう。 このように、『山中传奇』における音楽は、映像空间のイマジネーションを引き出すような作用をしていることがわかる。太鼓や笛、笙などの多様な伝统楽器を多く用いたのも、そうした空间を引き立てるためのものと言えるだろう。
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    4 结论  空间という见地からみると、胡金铨はむしろ「なにもない」ところに积极的に意味を与えているのがわかる。映像に空白感をつくり、映像世界に无限の広がりを持たせようとしているのである。ストーリーやアクションは通常のように映画の中心ではなく、そうした世界に缲り広げられる一つのパーツに过ぎない。音楽も通常のように空间を规定するものではなく、逆にに空间が音楽を规定することによって空间の広がりを与えるように作用している。こうした表现技法を用いて、中国の歴史、伝统文化の世界の豊かさを表现することこそが、『山中传奇』で胡金铨が意図したことであった。 こうした通常の映画の鉄则に反した手法は、彻底的な集客重视の香港映画界の波の中で生き残ることができなかった。しかし、胡金铨が商业主义の犠牲になったというのはおそらく间违いである。『山中传奇』は确かに魅力がわかりにくい映画ではあるが、奇を炫ったいかにも芸术臭い演出(とくにヨーロッパ映画)は全くないし、そういう映画にありがちな重苦しいストイックさ(とくに中国映画)もない。むしろ子供の顷に触れた絵本や纸芝居のような柔らかい、想像力豊かな世界を感じさせる。これは胡金铨の映像美学の基础に、大众娯楽映画の演出技法がきちんとあるからである。 胡金铨にとって映画が中国の歴史や伝统文化・芸能を表现する场であったことは、彼自身が认めているところで、事実、それに関する胡金铨の知识は下手な歴史学者よりはあった。こうした中国的なものへの思い入れは果たしてどこから来たのだろうか。それについて胡金铨は次のように话している。 「わたしがはじめて香港に出たのは十代です。1949年の11月に香港に着きました。その年の10月1日に中华人民共和国政権が成立したばかりでした。香港にも知り合いもいないし、わたしは広东语も话せなかった。船を下りたら右も左もわからなかったというわけです。・・・(中略)・・・香港ではいろんなことをやってから外资系の会社に勤め始めました。ボイス・オブ・アメリカです。  当时仕事のせいか中国的なものに対して寄せる思いが强くなりました。私の中にある中国への思いといういうのは、きわめて保守的なもので、それは言ってしまえばチャイナタウン的なのです。私は自分の场所というものがある人が羡ましい。私はどこにいても『ここが自分の场所だ』という感覚がほとんどありません。そう、たしかに、いつも旅人に过ぎないのです。」  大陆で生まれ、台湾,香港を転々とし、最后にはアメリカに渡り、そこで人生を终えた胡金铨。自らの居场所を求めた先は、伟大な中国文化への强い憧憬を映画で表现することであった。『山中传奇』での歩行シーンは彼自身がさまよう姿の投影だったのかもしれない。 香港が祖国中国に复帰したのは,彼の死去半年后のことであった。
    参考文献
    四方田犬彦『电影风云』
    胡金铨・山田宏一・宇田川幸洋『キン・フー武侠电影作法』草思社 1997年


    IP属地:韩国3楼2014-01-13 23:23
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      IP属地:韩国4楼2014-01-27 12:51
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        在中国,糟糕导演分三种:1、拒绝承认电影是生意,这种人通常没什么真才华;2、相反,认为电影只是生意,这种就是老马丁斯科赛斯说的,随波逐流;3、最糟的,是两件事都错了,先演几年假愤青,穷怕了,就丢盔卸甲,臣服于资本。(引自@老晃微博 在@电影世界杂志 的本期专栏。)
        做导演要么是胡金铨那样的,忽悠老板的钱,拍自己满意的作品,直到最后债务缠身,潦倒已终。要么就是像王天林那样永远商业片,然后一不注意弄出一个艺术片来。可惜当下的中国,导演站在当中的太多,太多。


        IP属地:韩国5楼2014-02-22 00:47
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