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雨月物语序

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或従十五北防河
便至四十西営田
去时里正与裹头
帰来头白还戍辺
辺庭流血成海水
武皇开辺意未或は十五より 北 河を防ぐ
便ち 四十に至りて 西 田を営む
去る时 里正 与に头を裹む
帰来头白 还た戍辺を戍る
辺庭血を流して 海水を成す
武皇 辺を开く 意未だ已まずある者は十五の时から北の方、黄河の防卫に行き、
四十ばかりになってから、西方へ屯田兵として行こうとする。
前に征ったときは、村长さんが钵巻をしてくれたが、
头が白くなって戻ってくると、次の国境を守りに行かされる。
国境ではいくさのために、死者の流す血は海の水ように溢れている。
それでも武帝(玄宗皇帝)の领地を広げる意志に変わりはない。
信知生男悪
反是生女好
生女犹得嫁比邻
生男埋没随百草信に知る 男を生むは悪なりと
反って是れ女を生むは好きことを
女を生めば犹を比邻に嫁せるを得ん
男を生めば埋没して 百草に随う男を生むより女を生む方が良いと言う言叶の意味がよくわかる。
女なら近所へ嫁にやることが出来るが、
男なら戦死して草场の下に埋められてしまうばかりだから。
君不见青海头
古来白骨无人収
新鬼烦冤旧鬼哭
天阴雨湿声啾啾君 见ずや 青海の头
古来 白骨 人の収むる无し
新鬼は烦冤し旧鬼は哭す
天は阴り雨が湿るとき 声啾啾たり见なさい、青海の畔では昔から戦场に白骨が横たわっているが、
谁もかたずけない。
新しい死者は苦しみ、古い死者は恸哭する。
空がくもり、雨のじめじめした日など、その声がしくしくとむせび泣いている。
 杜甫の「兵车行」です。
 国家を守るのも、帝王の覇権を守るのも、庶民の血によって赎われるもの。


IP属地:日本1楼2015-01-31 00:51回复
    罗子②撰《水浒》,而三世生哑儿;紫媛③著《源语》,而一旦堕恶趣者,盖为业所逼耳。然而观其文,各奋奇态,啽哢逼真,低昂宛转,令读者心气洞越也,可见鉴事实于千古焉。余适有鼓腹之闲话,冲口吐出,雉雊龙战,自以为杜撰。则摘读之者,固当不谓信也,岂可求丑唇平鼻之报哉?明和戊子晚春,雨霁月朦胧之夜,窗下编成,以畀梓氏。题曰《雨月物语》云。 [1]
    ——剪枝畸人书
    ①上田秋成精通汉文,此篇原序,作者全部以汉文写就,语义通顺,文辞雅正,故径直照搬之。
    ②罗子,即罗贯中,元末明初著名小说家、戏剧家,中国章回体小说鼻祖。明代田汝成在《西湖游览志馀》中云:“钱塘罗贯中......编撰小说《水浒传》,......变诈百端,坏人心术,其子孙三代皆哑,天道好还之报如此。”[1]
    ③紫媛,即紫式部,又称紫珠,日本平安时代中期女性作家,《源氏物语》作者


    IP属地:日本3楼2015-01-31 00:52
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      ここには、上田秋成の『雨月物语』にかける意気込み、创作経纬が书かれている。この文中で秋成は、『源氏物语』を书いた紫式部と『水浒伝』を书いた罗贯中を例に挙げ、2人が现実と见纷うばかりの杰作を书いたばかりにひどい目にあったという伝说をあげている(紫式部が一旦地狱に堕ちた、というのは、治承年间、平康頼によって书かれた『宝物集』や延応以降の、藤原信実によって书かれたとされる『今物语』により、罗贯中の子孙3代が唖になった、というのは、明代、田汝成编の『西湖游覧志余』や『続文献通考』によっている)。そして、どう见ても杜撰な、荒唐无稽な作品である『雨月物语』を书いた自分は、そんなひどい目に遭うわけがない、と谦逊している、ように见える。しかし考えてみれば、そもそもくだらない作品を书いた、と自分で思っているなら、当时でもすばらしい作品であると考えられていた『源氏物语』や『水浒伝』と自分の作品を比べるわけはあるまい。
      また、末尾の「剪枝畸人书」という署名に注目して、ここから秋成の真意を汲取ろう、という试みもなされている。この「剪枝畸人」の「枝」は「肢」、さらには「指」に通じ、幼いときに秋成が、右手中指、左手人差し指が不具になったことを戯れにした署名である。ここで、前に自分はひどい目に遭わないはずだ、と言っておきながらこういう署名をするところに、注目する必要がある。また、中野三敏からは、これは『荘子』に由来するものではないか、という指摘もなされている。『荘子』の「人间世篇」に、有用な実をつける木は「大枝ハ折ラレ、小枝ハ泄(た)メラル」、无用な木は「ハタ、アニ翦(き、剪)ラルルコト有ランヤ」とある。つまり、「剪枝」とは、自分が役に立つ人间であったがゆえに、指(枝)が折られて(剪)しまったのだ、ということを意味しているのではないか。后半の「畸人」という部分は、「大宗师篇」にある个所が连想される。「畸人ハ人ニ畸(ことな)リテ、天ニ侔(ひと)シキモノナリ」と。つまり、「剪枝畸人」とは、紫式部や罗贯中のような、物したあとにひどい目に遭ったのとは违って、『雨月物语』を书いた自分は、生まれながらに罚せられている、天にも等しき存在なのだ、という傲慢なほどのすさまじい主张にも読取れるのだ[11]。いかに秋成の『雨月物语』にかける自负心が大きかったことか、察せられるだろう。


      IP属地:日本4楼2015-01-31 00:53
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