关于拝见させていただきます目前看到一个比较全面分析的博客复制如下:
「拝见する」をめぐって〈1〉 「拝见いたします」は二重敬语か
日本语アレコレの索引(日々増殖中)
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-2020.html日本语アレコレの索引(日々増殖中)【7】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1789673749&owner_id=5019671 mixi日记2012年01月09日から
直接的には下记の続き。
突然ですが问题です【日本语编91】——拝见いたす 拝见いたします 拝见させていただく 拝见させていただきます
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1811049423&owner_id=5019671 下记のトピがテーマかも。
27)【「お承りできません」&二重敬语をめぐって】
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=43858453 敬语が苦手な自覚があるもんで、素朴な疑问を感じるとすぐに调べてしまうtobiクンです。
先に书いた下记にいろいろ问题があるので、修正版です。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1811980929&owner_id=5019671 ツッコミはやさしくお愿いします。例によってリンクだらけですが、リンク先を无视しても大丈夫なように心がけます。
「拝见する」をめぐる敬语の问题〈1〉——「拝见いたします」は二重敬语か否か。
まず、「拝见いたします」を分解する。
拝见する→「见る」の谦譲语I
いたす→「する」の谦譲语II
ます→丁宁语
ここまでは问题がない(はずだよな)。ここで「二重敬语」とは何かを确认する。「二重敬语」に関しては过去に何度も书いているが、クドめに书く。
↑の27)【「お承りできません」&二重敬语をめぐって】 のコメント[11]にWikipediaの记述を転载した(2010年07月05日。いまは削除されている)。回収しておく。
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二重敬语
尊敬语や谦譲语を重ねる表现。万叶集の时代から第二次世界大戦に至るまで天皇などに対しては积极的に使われ、また口语では天皇など以外に対しても用いられた。「いらっしゃる」(<いらせらる<いる+尊敬の助动词「す」+尊敬の助动词「らる」)や「思し召す」(思うの尊敬语「思す」+尊敬语「召す」)のように、二重敬语が惯用化して一语になったものも古くからある。
戦后になって、敬语の简略化を目指した政府により、これからの平等社会には相応しくないとされるようになった。特に皇室関连では、それまで通例であった二重敬语が意识的に排除された。
一般に日本语の规范と考えられているNHKアナウンサーも、中立性を求められるNHKが皇族を过剰に敬ってはならないので皇族に対しては二重敬语を使わないようにしているものの、それ以外ではしばしば使っている。ただし、敬语の使い方を特に取り上げた番组では、误りではないが好ましくない敬语として扱う。
例:
その年の夏、御息所、はかなき心地にわづらひて、まかでなむとしたまふを、暇さらに许させたまはず。(『源氏物语』)
「许す」に尊敬の助动词「す」を接続させたところへ更に尊敬の补助动词「给ふ」を接続させている。古典文学において二重敬语は、地の文では天皇などに対する最高敬语として用いられる。会话文では天皇以外に対しても幅広く用いられる。
家のだんなさまが、お前さんに会いたいから、つれて来いと、おっしゃられた。(昭和23年、菊池寛『アラビヤンナイト』)
かつては普通に用いられた表现だが、现代社会においては、尊敬语「おっしゃる」と尊敬を表す助动词「れる」を二重に用いるのは过剰で、「おっしゃった」または「言われた」がふさわしい。
お叶书、拝见いたしましたが、ぼくの原稿、どうしても、――だめですか?(昭和12年、太宰治『二十世纪旗手』)
かつては普通に用いられた表现だが、现代社会においては、「见る」の谦譲语「拝见する」に対してさらに「いたす」をつける必要はなく、「拝见しましたが」で十分である。
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これを见るに、「二重敬语は现代では过剰」と読める。〈「见る」の谦譲语「拝见する」に対してさらに「いたす」をつける必要はなく〉と明言している。
Wikipediaなんて……とか言われると困るので、问题だらけの「敬语の指针」(详细は下记の〈629〉参照)にご登场いただく。
http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf/keigo_tousin.pdf まず「谦譲语I」と「谦譲语II」に関しては次のように定义している(书籍などでちょっと违う呼称を使っているものもあるらしい)。
「敬语の指针」p.15から=====================
谦譲语I(「伺う・申し上げる」型)
自分侧から相手侧又は第三者に向かう行为・ものごとなどについて,その向かう先の人物を立てて述べるもの。
<该当语例>
伺う,申し上げる,お目に挂かる,差し上げる
お届けする,御案内する
(立てるべき人物への)お手纸,御说明
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※「いただく」も谦譲语I(p.16/p.17)
「敬语の指针」p.18から=====================
谦譲语II(丁重语)(「参る・申す」型)
自分侧の行为・ものごとなどを,话や文章の相手に対して丁重に述べるもの。
<该当语例>
参る,申す,いたす,おる
拙著,小社
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なんかよくわからないけど、こういうことらしい。
相手を上げるんなら尊敬语だろうとか言わないように。自分を下げることによって相対的に相手を上げるって论理と思われる。
详しくは「敬语の指针」の「6 尊敬语・谦譲语Iの働きに関する留意点」(p.22~)をお読みください。
〈 (立てるべき人物への)お手纸,御说明〉が谦譲语という记述を読んで冷や汗が出る。
接头语の「ご(お)」は3种类あることになるらしい。ずっと2种类だと思っていた(详细は下记の〈274〉参照)。いや、まあたしかにほかのところで「尊敬语」にも「谦譲语」にもなる……的なことも书いた気はするけど(详细は下记の〈272〉参照)。
そりゃわかりやすいわ。名词につく场合は全部「丁宁语」(美化语)にしてくれないかな。
先生からの〈お手纸〉は尊敬语。
先生への〈お手纸〉は谦譲语。
一般的な〈お手纸〉は丁宁语(美化语)。
(最近の若い方はメールばかりで〈お手纸〉などは书かないようですね)
次に「二重敬语」については次のように书いてある。
「敬语の指针」p.30から====================
(2)「二重敬语」とその适否
一つの语について,同じ种类の敬语を二重に使ったものを「二重敬语」という。例えば,「お読みになられる」は,「読む」を「お読みになる」と尊敬语にした上で,更に尊敬语の「......れる」を加えたもので,二重敬语である。
「二重敬语」は,一般に适切ではないとされている。ただし,语によっては,习惯として定着しているものもある。
【习惯として定着している二重敬语の例】
・(尊敬语)お召し上がりになる,お见えになる
・(谦譲语I)お伺いする,お伺いいたす,お伺い申し上げる
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「习惯として定着している」ってどういう意味? まあ、「许容」されているくらいの意味だろう。
最大のポイントは「同じ种类の敬语を二重に使ったもの」ってとこ。これがないと「拝见します」だって〈「拝见する」(谦譲语)+「~ます」(丁宁语)〉で二重敬语になってしまう。
「同じ种类の敬语を二重に使ったもの」は二重敬语。下记のサイトを読んで、新たな疑问が涌く。「谦譲语I」と「谦譲语II」は「同じ种类」なのか「违う种类」なのか。
http://dora0.blog115.fc2.com/blog-entry-50.html いままで目にした文章の多くは、どちらも「谦譲语」だから「同じ种类」と考えていた。ところが、このサイトでは「违う种类」と考えているらしい。
「同じ种类」と考えるなら、「拝见いたす」は二重敬语。
「违う种类」と考えるなら、「拝见いたす」は二重敬语ではなくなる。
一般には二重敬语とされているんじゃないかな。
これが「许容」か否かを考えようとすると、また妙な话になる。
この「拝见いたす」だけの问题なら、二重敬语だけど「不规则敬语」(详细は下记の〈634〉参照)がらみだから许容、と考えるのがわかりやすいかもしれない。
だが、こういうふうに考えるととっても困ることがある。
「ご案内いたします」の类いも、「ご~する」+「いたす」なので二重敬语になってしまう(そんなバカな)。これは不规则敬语がらみではないから、「许容」される理由がない。でも「ご/お~いたす」はフツー使われている気がするんですけど。こんなものまで二重敬语にされたらたまりません。
まあ、补助动词の「いたす」は「丁宁语」って解釈もできるとは思うけど、「ご案内いたします」が二重敬语でなくて、「拝见いたします」は二重敬语ってのはおかしくないか?
ちなみに「拝见いたす」が二重敬语だとすると、「お伺いいたす」は「伺う」+「ご/お~いたす」だから三重敬语になる。
……と书いてあまりにも纳得がいかないので、「敬语の指针」を読み直してみると、下记の记述があった。