ーはじめにー
「黒川、君のコラムを書いてみないか?」とお話を頂いたとき、頭で考えるよりも先に「是非ともやらせてください」という言葉が反射的に口から飛び出しました。今までも経験を得る喜びを貪欲に追い求め続けてきたからだと思います。しかし、コラムを書くとなれば全くの素人。気付けばもう30分以上「コラム 書き方」なんていう検索ワードから必死に情報収集をしております。これから全4回にわたりお届けする、黒川沙良の「人生初のコラム」、どうか皆様には温かい目でお読みいただければ幸いです。
ー黒川沙良というアーティストー
“黒川沙良” と聞いてピンとくる方はまだまだ少ないでしょう。
まずは私の紹介から始めさせていただきます。
黒川沙良(クロカワ サラ)、1992年2月24日生まれO型、好きな色はブルー。(理由は後ほどの説明にて)
ピアノ弾き語りシンガーソングライターとして15歳からライブ活動を始め、2015年7月に発売されたミニアルバム「On My Piano」がデビュー作となります。Alicia Keys、Joe、Marvin Sappなどの洋楽R&Bやブラックミュージックから影響を受けたテイストを取り入れた、ピアノ弾き語りスタイルを大切にしながら現在に至ります。
ー楽譜もコードも読めず書けずの代わりに…ー
先ず始めにお伝えしたいことは、私はシンガーソングライターとして作詞作曲をしているものの、「楽譜やコードが一切読めない、書けない、わからない」の3拍子ということです。「ちょっとくらいわかるでしょう」と言われることもありますが、本当に全くわからないのです。
楽譜やコードが読めず書けない代わりに、CDや演奏を2~3度聞くことで、すべて忠実にピアノで弾ける特技を持ち合わせています。これに気が付いたきっかけは、幼少の頃に母が車で聴いていた歌謡曲を瞬時にピアノで弾けてしまったことでした。絶対音感を持ち合わせていると知り得たこの時から現在まで、ピアノを習ったことがほとんどなく、独学だけでピアノを弾いてきました。現在のオリジナル楽曲は80曲を超えていますが、この話しをすると必ず「コードも楽譜もかけないのーにどうやって曲を作っているの?」と訊かれます。その答えを紐解いた写真を初公開しますのでご覧ください。
この写真は私のデビューアルバムのリード曲「ガールズトーク」のサビの部分にあたる「私の楽譜」になります。学術的に学べば良いことなのですが、曲作りを始めた15歳から変わらずこうして曲を書き続け、この手法に愛着があるがゆえに現在でもこのスタイルでオリジナルの楽譜を書いています。全てカタカナで和音(コード)を書いて、丸で囲んで4つ伸ばし、矢印が上がり下がりの目印。
当初からソロで活動をしているのは、この楽譜では誰も理解してくれないからという理由もあります。
また、私自身が小学生の頃にジャズやボサノバといった音楽ジャンルを聴いて非常に感動したことを境に、複雑に絡み合う音使いを好むようになりました。頭の中で鳴り響く複雑な音を用いながらピアノで正解探しをするのが楽しみで、面白半分でこの作曲スタイルを変えようとしませんでした。当時、私が非常に影響を受けたアーティストが「Orange Pekoe」さんでした。小学生の頃、Celine DionやJanet Jacksonばかりを聴いていた私は、偶然テレビから流れてきた彼らの歌を耳にした瞬間、凄まじい衝撃を受け、「こんなにカッコイイ音楽が日本にもあるのか!」とすぐさま虜になりました。そこからボサノバ、ジャズなどのオシャレさに惹かれ、自分のピアノ演奏に取り入れました。小学生の頃、将来の夢について発表する授業では「ジャズミュージシャンになる」と豪語し、自己流のピアノで童謡ジャズアレンジメドレーを制作するなどして音楽に触れてきました。
ー私が音楽活動を始めたきっかけー
私が音楽を始めたきっかけは、とある「失恋」がきっかけでした。
ジャズミュージシャンになると豪語しながらも、当時の私は耳(音感)に頼ってピアノを弾き倒すことしか出来てない、このままじゃいけないと自覚しつつも、勉学に励みながら中学時代を過ごしました。
中学3年生の夏に、隣の中学校に好きな子が出来て、ひょんなことから付き合うことになり、人生初の相思相愛を体感中の自分が嬉しくて、毎日がバラ色でした。しかし半年経った頃、突然「昔の女が忘れられないから」と振られたのです。私は大ショックでした。放心状態の中「もう生きていけない」と泣き叫び、友達からの同情が嫌で学校を休んだりもしました。日中も部屋のカーテンを閉め切ってとにかく号泣の日々。すると見かねた母が「サラ!あなた男に振られたくらいでそんなにギャーギャー泣いてんじゃないよ!もっと輝いて見返してやりなさい!」と一言。
その日から私は、振られてからつけ始めた日記にメロディをつけて歌にしました。それを友達にも聞いて欲しくて学校にキーボードを持って行き、放課後は友達に聴いてもらいました。その時の反響が非常に良かったことがきっかけで、活動の幅を学校の教室からもっと広い場所に移したいと思ったのでした。