あの人のとっておきセレクション
水谷豊さん(俳優)
水谷豊さんがドラマの見どころ&NHK作品出演の思い出を語る
鶴田浩二さんの大きすぎる背中に
体当たりで挑んだ日々でした
当時、僕は24歳。‘74年の『傷だらけの天使』(日本テレビ系)など、少し不良っぽい若者役のイメージでお茶の間に浸透していた時期でした。だからこそ僕自身、当時は“NHKなんて縁がない世界”だと思い込んでいたんです。そんなときにこのドラマに声を掛けてもらい、とてもうれしかったのを覚えています。それに、脚本の山田太一さんは、当時の僕たちのような若手俳優にとってひとつのブランドというか、倉本聰さん、向田邦子さんといった、いつかは演じてみたい脚本家の一人でした。おまけに主演が鶴田浩二さんと聞いて、僕はもう「生の鶴田さんを見てみたい!」、そんな軽い気持ちで出演を即OKしたんです。同世代の出演者の桃井かおりちゃんと「僕たちがNHKに出ていいのかねー」なんてどこかワクワクしながら、現場で冗談めかして話していたのをつい昨日のことのように思い出します。
元特攻隊員で、「いまの若者が大嫌いだ」が口ぐせの無骨なガードマン、吉岡晋太郎司令補を演じる鶴田さん。そして、吉岡のもとに配属された“イマドキ”の新米ガードマン、杉本陽平を演じる僕。鶴田さんと僕の現場での関係は、“司令補”と陽平のまんまでした。陽平が司令補に生意気な口をきいては、ビクッとして少し後ずさりするような感じがあるでしょう? 僕にとっての鶴田さんも、それぐらい“怖い“人でした。誰かに厳しいとか、誰かを怒る、とかそういうことではなく、鶴田さんはそのたたずまいに凛とした厳しさが常に漂っている印象でした。鶴田さんがスタジオに入られると、俳優からスタッフ一同、瞬間で空気がピーンと張りつめるという感じですね。しかも驚いたことに、鶴田さんは撮影前のリハーサルの時点で、もう完全に役になり切っているんですよ。台本を一切見ず、7~8分ほどある一人で語るセリフすら、完璧に頭に入っている。しかも、相手のセリフや間(ま)といったものまで、すべてを叩き込んでいるんです。もう僕もかおりちゃんもびっくりして、“これは見習わなきゃ”、なんて思うんですけど、逆に同じようにしようとして大失敗して迷惑をかけちゃって(笑)。本当に鶴田さんのやっていらっしゃったことは、一朝一夕で真似できるものでもありませんでした。
どんなに叱られ、ぶっとばされても陽平がなぜか司令補に心ひかれるように、僕も鶴田さんのそばで、体当たりながらも一緒に芝居ができるだけで本当に幸せな日々でした。そんなある日、鶴田さんのお付きの方が僕の楽屋を訪ねていらっしゃったんです。鶴田からの伝言です、と言って「水谷さんはやりたいように演じてくれ。全部僕が受けるから」という言葉を頂きました。数話撮ってきて鶴田さんなりに手ごたえもあり、また僕の芝居をもっと伸ばしたいと思ってくださったのでしょう。その言葉がとてもうれしくてね……。もし、僕も将来このまま俳優を続けていられるのなら、いつか後輩にとってそういう人になりたいなって、撮影を終えてからもずっと思い続けてきました。鶴田さんには俳優としてだけでなく男としても、とても大きな背中を見せていただいた方です。
張りつめた撮影が続く一方で、鶴田さんがいないシーンでは、僕たち若手はちょっとだけ自由にやっていたかもしれません(笑)。かおりちゃんや、同じく若手ガードマン役を演じていた柴俊夫ちゃんなんかとは、NHKからほど近い原宿の喫茶店に出かけてはよくお茶をしていましたね。当時はコーヒーしか飲まなかったなぁ。今はもちろん“紅茶”も飲むようになりましたけど(笑)。いつも気がつくと集まって、お茶をしては語り合っていました。何を話していたかは覚えていないんですけどね。それも僕にとって青春時代のよき思い出です。そういえば、かおりちゃんと柴ちゃんとお金を出し合って、鶴田さんの誕生日にプレゼントをしよう、と計画したことがありました。かおりちゃんが「豊、鶴田さんのプレゼント担当をお願いね」って言うんです。「なんで僕?」って思ったけど(笑)、じゃあ買いに行こうと思って、すごく悩んだんですが、すてきなカシミアのマフラーを見つけてね。それを3人から、と差し上げたんです。そしたらすごく鶴田さんが喜んでくださって。さりげなく翌日からコートの下に身に着けてくださったのが、僕たちもすごくうれしくてね。ダンディでかっこよくて、鶴田さんは僕たちの永遠の憧れでした。
ドラマはシリーズ化され、とても大きな反響をいただきました。時代もちょうど戦争を生きぬいた司令補の世代と、僕らのような戦争を知らない世代に大きな価値観のずれや、変化が訪れていた時期でした。司令補も、陽平も決してどちらかが正しいとかで片付く問題ではない。両方間違えていない、それぞれの生き様や主張が真実だったと思います。当時の日本が抱える社会の矛盾を、山田太一さんが見事に描いてくださいました。こういう脚本に出会えることも、俳優としてそんなにあることではないんです。撮影が全部終わった後、打ち上げの席だったでしょうか。鶴田さんと山田太一さん、僕とかおりちゃんもいたと思います。鶴田さんと太一さんが、「本当に難しいね」と、ぽつりとおっしゃったんです。難しい――と言ったお二人の言葉が、僕も年齢を重ねより深く響くようになりました。あれから40年もの月日が流れ、日本もさらに大きく変容しました。戦争を伝えることは、より難しい時代になってきています。でも『男たちの旅路』の中で、世代の違う“男たち”が不器用なまでに徹底して思いをぶつけ合った姿には、時代を超えて訴える真実があると思うのです。今思っても、こうしたひとつの時代を象徴するドラマに自分が携われたことへの感謝の気持ちがあふれてくる、そんな思い出深い作品です。
過去の主なNHKドラマ出演作の思い出
月曜ドラマシリーズ『占有家族』【2001年放送】
日本放送作家協会主催、第25回創作テレビドラマ脚本懸賞公募入選作品。多重債務を抱えて、取り立て屋から逃げながら、“代理パパ”業を引き受けて生計を立てる男、森崎を水谷豊さんが軽妙に演じる。複雑化する現代社会の“家族”を描いた意欲作。
僕が演じる森崎に、“代理パパ”を依頼してくる少女、島原美希を演じていたのが吹石一恵さんでした。当時は、彼女もまだ10代後半だったでしょうか。キラキラと輝く才能を感じさせる芝居で、きっとこれから大きく羽ばたかれる女優さんになるんだろうなと、思っていたのを覚えています。また、森崎と美希と同居することになる出雲英子役で、范文雀さんも出演されていました。年齢は僕の少し上ですが、古くからの知り合いです。そんなにしょっちゅう共演する間柄ではなかったのですが、この現場でお会いしたときは、懐かしいね、なんて若いころの思い出ばなしに花が咲きました。最後に、「お互いカラダを大切にしましょう。無理はしないでね」と、范さんが僕に言ってくださったのが印象的だったのですが、この撮影から1年ほどで范さんが他界されたときに、あの撮影中も実は闘病中だったことを知りました。范さんも、まだまだ芝居をなさりたかったでしょうね。僕はよく“お仕事での苦労はどんなことですか”と聞かれても、うまく答えられないんです。どんな過酷な現場でも、やはり俳優の仕事は楽しくやりがいがあり、これを苦労と思ったことは一度もないからです。僕も年齢を重ねてきました。ドラマの現場の出会いも一期一会と思い、日々演じられる幸せをかみしめ、皆さんとこれからもさまざまな役でお会いできたら、と思っています。
水谷豊さん(俳優)
水谷豊さんがドラマの見どころ&NHK作品出演の思い出を語る
鶴田浩二さんの大きすぎる背中に
体当たりで挑んだ日々でした
当時、僕は24歳。‘74年の『傷だらけの天使』(日本テレビ系)など、少し不良っぽい若者役のイメージでお茶の間に浸透していた時期でした。だからこそ僕自身、当時は“NHKなんて縁がない世界”だと思い込んでいたんです。そんなときにこのドラマに声を掛けてもらい、とてもうれしかったのを覚えています。それに、脚本の山田太一さんは、当時の僕たちのような若手俳優にとってひとつのブランドというか、倉本聰さん、向田邦子さんといった、いつかは演じてみたい脚本家の一人でした。おまけに主演が鶴田浩二さんと聞いて、僕はもう「生の鶴田さんを見てみたい!」、そんな軽い気持ちで出演を即OKしたんです。同世代の出演者の桃井かおりちゃんと「僕たちがNHKに出ていいのかねー」なんてどこかワクワクしながら、現場で冗談めかして話していたのをつい昨日のことのように思い出します。
元特攻隊員で、「いまの若者が大嫌いだ」が口ぐせの無骨なガードマン、吉岡晋太郎司令補を演じる鶴田さん。そして、吉岡のもとに配属された“イマドキ”の新米ガードマン、杉本陽平を演じる僕。鶴田さんと僕の現場での関係は、“司令補”と陽平のまんまでした。陽平が司令補に生意気な口をきいては、ビクッとして少し後ずさりするような感じがあるでしょう? 僕にとっての鶴田さんも、それぐらい“怖い“人でした。誰かに厳しいとか、誰かを怒る、とかそういうことではなく、鶴田さんはそのたたずまいに凛とした厳しさが常に漂っている印象でした。鶴田さんがスタジオに入られると、俳優からスタッフ一同、瞬間で空気がピーンと張りつめるという感じですね。しかも驚いたことに、鶴田さんは撮影前のリハーサルの時点で、もう完全に役になり切っているんですよ。台本を一切見ず、7~8分ほどある一人で語るセリフすら、完璧に頭に入っている。しかも、相手のセリフや間(ま)といったものまで、すべてを叩き込んでいるんです。もう僕もかおりちゃんもびっくりして、“これは見習わなきゃ”、なんて思うんですけど、逆に同じようにしようとして大失敗して迷惑をかけちゃって(笑)。本当に鶴田さんのやっていらっしゃったことは、一朝一夕で真似できるものでもありませんでした。
どんなに叱られ、ぶっとばされても陽平がなぜか司令補に心ひかれるように、僕も鶴田さんのそばで、体当たりながらも一緒に芝居ができるだけで本当に幸せな日々でした。そんなある日、鶴田さんのお付きの方が僕の楽屋を訪ねていらっしゃったんです。鶴田からの伝言です、と言って「水谷さんはやりたいように演じてくれ。全部僕が受けるから」という言葉を頂きました。数話撮ってきて鶴田さんなりに手ごたえもあり、また僕の芝居をもっと伸ばしたいと思ってくださったのでしょう。その言葉がとてもうれしくてね……。もし、僕も将来このまま俳優を続けていられるのなら、いつか後輩にとってそういう人になりたいなって、撮影を終えてからもずっと思い続けてきました。鶴田さんには俳優としてだけでなく男としても、とても大きな背中を見せていただいた方です。
張りつめた撮影が続く一方で、鶴田さんがいないシーンでは、僕たち若手はちょっとだけ自由にやっていたかもしれません(笑)。かおりちゃんや、同じく若手ガードマン役を演じていた柴俊夫ちゃんなんかとは、NHKからほど近い原宿の喫茶店に出かけてはよくお茶をしていましたね。当時はコーヒーしか飲まなかったなぁ。今はもちろん“紅茶”も飲むようになりましたけど(笑)。いつも気がつくと集まって、お茶をしては語り合っていました。何を話していたかは覚えていないんですけどね。それも僕にとって青春時代のよき思い出です。そういえば、かおりちゃんと柴ちゃんとお金を出し合って、鶴田さんの誕生日にプレゼントをしよう、と計画したことがありました。かおりちゃんが「豊、鶴田さんのプレゼント担当をお願いね」って言うんです。「なんで僕?」って思ったけど(笑)、じゃあ買いに行こうと思って、すごく悩んだんですが、すてきなカシミアのマフラーを見つけてね。それを3人から、と差し上げたんです。そしたらすごく鶴田さんが喜んでくださって。さりげなく翌日からコートの下に身に着けてくださったのが、僕たちもすごくうれしくてね。ダンディでかっこよくて、鶴田さんは僕たちの永遠の憧れでした。
ドラマはシリーズ化され、とても大きな反響をいただきました。時代もちょうど戦争を生きぬいた司令補の世代と、僕らのような戦争を知らない世代に大きな価値観のずれや、変化が訪れていた時期でした。司令補も、陽平も決してどちらかが正しいとかで片付く問題ではない。両方間違えていない、それぞれの生き様や主張が真実だったと思います。当時の日本が抱える社会の矛盾を、山田太一さんが見事に描いてくださいました。こういう脚本に出会えることも、俳優としてそんなにあることではないんです。撮影が全部終わった後、打ち上げの席だったでしょうか。鶴田さんと山田太一さん、僕とかおりちゃんもいたと思います。鶴田さんと太一さんが、「本当に難しいね」と、ぽつりとおっしゃったんです。難しい――と言ったお二人の言葉が、僕も年齢を重ねより深く響くようになりました。あれから40年もの月日が流れ、日本もさらに大きく変容しました。戦争を伝えることは、より難しい時代になってきています。でも『男たちの旅路』の中で、世代の違う“男たち”が不器用なまでに徹底して思いをぶつけ合った姿には、時代を超えて訴える真実があると思うのです。今思っても、こうしたひとつの時代を象徴するドラマに自分が携われたことへの感謝の気持ちがあふれてくる、そんな思い出深い作品です。
過去の主なNHKドラマ出演作の思い出
月曜ドラマシリーズ『占有家族』【2001年放送】
日本放送作家協会主催、第25回創作テレビドラマ脚本懸賞公募入選作品。多重債務を抱えて、取り立て屋から逃げながら、“代理パパ”業を引き受けて生計を立てる男、森崎を水谷豊さんが軽妙に演じる。複雑化する現代社会の“家族”を描いた意欲作。
僕が演じる森崎に、“代理パパ”を依頼してくる少女、島原美希を演じていたのが吹石一恵さんでした。当時は、彼女もまだ10代後半だったでしょうか。キラキラと輝く才能を感じさせる芝居で、きっとこれから大きく羽ばたかれる女優さんになるんだろうなと、思っていたのを覚えています。また、森崎と美希と同居することになる出雲英子役で、范文雀さんも出演されていました。年齢は僕の少し上ですが、古くからの知り合いです。そんなにしょっちゅう共演する間柄ではなかったのですが、この現場でお会いしたときは、懐かしいね、なんて若いころの思い出ばなしに花が咲きました。最後に、「お互いカラダを大切にしましょう。無理はしないでね」と、范さんが僕に言ってくださったのが印象的だったのですが、この撮影から1年ほどで范さんが他界されたときに、あの撮影中も実は闘病中だったことを知りました。范さんも、まだまだ芝居をなさりたかったでしょうね。僕はよく“お仕事での苦労はどんなことですか”と聞かれても、うまく答えられないんです。どんな過酷な現場でも、やはり俳優の仕事は楽しくやりがいがあり、これを苦労と思ったことは一度もないからです。僕も年齢を重ねてきました。ドラマの現場の出会いも一期一会と思い、日々演じられる幸せをかみしめ、皆さんとこれからもさまざまな役でお会いできたら、と思っています。