さらに彼は「ほどほどの努力ではほどほどの幸せもつかめない」と言います。もはや日本は、多少の努力では、発展できない。「一生懸命頑張って、何とか成長できる」状態になっている。とにかく死に物狂いでがむしゃらに頑張らなければならない。そう主張します(前掲『文藝春秋』2010年12月号)。
彼の矛先は、同世代に向けられます。最近の若者は草食系と言われ、内向き志向だとされます。自動車もとくに欲しくない。海外でバリバリ働きたいわけでもない。国内でそこそこの仕事をして、安定した生活を楽しみたい。そう望んでいる若者が多いとされますが、小泉さんは、そんなことでは幸せなどつかめないと力説します。
もっと頑張らなければならない。命がけで仕事などに取り組まなければならない。
ここに現れる基本姿勢に、体育会系の部活経験やアメリカへの単身留学体験が反映されていると言えるでしょう。自らの努力と成功体験への自負心が、民主党批判と相まって、「自助」を強調する政治ビジョンにつながっている。これが、彼のベーシックな特徴です。
■原発へのあいまいな態度、父は「郵政」息子は「農協」
2009年10月、小泉さんは人気と演説力を買われ、自民党遊説局長代理に就任します。そして、2010年7月の参議院選挙で党の勝利に貢献すると、同年9月に遊説局長に昇格しました。
さらに2011年10月には、若手の登竜門である党青年局長に抜擢され、局内に「チーム・イレブン」を立ち上げました。彼は足しげく被災地に通い、復興支援に力を入れます。
自民党が政権に復帰し、安倍内閣がスタートすると、2013年9月に青年局長を退任し、内閣府大臣政務官(経済再生、経済財政、環太平洋経済連携協定〈TPP〉等担当)兼復興大臣政務官に就任。自民党の震災復興に対する姿勢をアピールする役割を担いました。
問題は原発政策です。小泉さんの基本姿勢は、原発推進ではありません。むしろ将来的に原発をやめていくという方向性を打ち出しています。しかし、いつまでにどのようなプロセスで脱原発社会を実現するのかという具体策については、示されていません。この点は、脱原発を鮮明に打ち出している父より、かなり慎重であいまいです。
小泉さんは2015年10月に党の農林部会長に就任します。これは若手の彼にとっては大役であり、かつ極めて困難なポストでした。この頃の自民党は、TPP問題で各地の農家から反対姿勢を明確にするよう、突き上げられていました。しかし、アメリカとの関係を重視する安倍政権は、TPPを推進。自民党内でねじれが生じていました。