本物に学び、自らつくり出し、
ものづくりに打ち込んだ100年。初の国産飛行機の開発に携わった実践的な技術教育
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国産初の飛行機の組み立てを見つめる
東京工科学校(本学の前身)の生徒たち
1911(明治44)年5月、青山練兵場(現明治神宮外苑)。ライト兄弟による人類初の飛行からわずか7年後の日本で、国産初の飛行機が大空に羽ばたこうとしていた。
その様子を輝く瞳と紅潮した面もちで見つめる一団の若者たち。この若者たちこそ、日本工業大学の前身である開校間もない東京工科学校の生徒たちでした。目の前にある日本初の国産飛行機を、我が国飛行界の権威であった日野熊蔵大尉の指導のもと、東京工科学校校内に設けられた実習工場で組み立てたのでした。
残念ながらこの飛行の挑戦は失敗に終わりましたが、先進の技術とともにあり、それを生きた工業教育としていく実学重視の伝統はすでにこうして始まっていたのです。
優れた技術者の輩出で日本の近代化を推進
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大正2年当時の校舎
日本工業大学の前身、東京工科学校の開校は、1907(明治40)年。当時の日本は、明治維新後の殖産興業の大号令で近代国家の道へとひた走るものの、技術を持った人材が決定的に不足していました。工業教育は学術的ではあっても実践的ではなかったのです。その両方をひとつにし、現場に、そして最新技術にも強い若手を育てる高い理念を掲げて登場したのが東京工科学校でした。
その歩みは決して平坦ではなく、明治から大正、そして昭和へと時が変わる中、5度にわたる校舎の焼失を繰り返しながらもそのたびにひるむことなく甦り、優れた技術者を世に送り出し、日本の近代化を推し進めてきたのです。学園は、第二次世界大戦後の新しい教育制度で、東工学園中学校、東京工業高等学校へと生まれ変わりました。時代が変わり、名前は変わっても、引き継いできたものがあります。それは、「ものづくりスピリット」と「少年の冒険心」を大切にした実践的教育です。
工業高校出身者のための日本初の工業大学
高度経済成長の時代を迎えた昭和30年代後半に入ると、産業界は技能の習得だけではなく、新技術導入に対応できる能力を持った人材を求めるようになっていました。こうした人材を育成するためには、工業高校出身者の受け皿となる高等教育機関が必要となったのです。ところが、日本全国どこを探しても、そういった大学はありませんでした。『だったら、自分たちでつくればいいじゃないか』。「ものづくりスピリット」と「少年の冒険心」は、ここでもスパークしたのです。
『大学をつくろう』の声を1961(昭和36)年に表明すると、全国の工業高校、生徒の保護者、産業界から熱烈な支持を得ました。それから6年後の1967(昭和42)年に、悲願であった日本工業大学の開学が達成されたのです。大学づくりも、まさしく手づくりでした。校舎の鉄骨部材、教室内の備品、机・椅子約3,800セット、3連ロッカー約200本は、駒場の実習工場で生徒の実習を兼ねて作り上げたもの。保護者をはじめとする貴重な寄付金を1円でもムダにできないという思いと、自分たちの手でやり遂げるんだという気持ちが、そうさせたのでした。
実学を重んじる学園には、手わざによるものづくりから製造業の最先端技術までを習得するために、「なによりも設備の充実を!」の基本方針があります。設備日本一のこの考え方は、日本工業大学においても貫かれました。最先端の各種実験研究設備、人工の雷を起こす超高圧放電研究センター、日本の工業技術の歴史を一覧できる工業技術博物館、さらに動態保存のSLと充実させていったのです。
重要性が叫ばれる体験学習の歴史がすでに100年
大学とは、教育と研究の2つの機能を持つ機関とされています。ところが、なかなか両立できずにいたのが従来の大学です。しかし、日本工業大学はそうではない、という自負を持っています。「工業理論を生産現場の技術として活かすことのできる」人材を育成することが日本工業大学綱領。しかも、ものづくりの喜びにこそ価値を求めてきたルーツがあり、学生とその価値観を分かち合うために、きめ細かに指導して社会に送り出すことにアイデンティティを見いだしてきたからです。
今日、教育界において体験学習の重要性が叫ばれ、それは最高学府の大学においても強く求められていることは多くの人々が指摘するところです。日本工業大学は、1世紀のこうした蓄積を持つ大学なのです。脈々と受け継がれている実学重視の伝統は、色あせることなくさらに輝きを増しています。
明治40(1907)年 東京工科学校 設立許可
明治41(1908)年 東京工科学校 開校
昭和 6 (1931)年 財団法人東京工科学校が設立され、東京工業学校(甲種)を併設
昭和10(1935)年 法人名を財団法人東工学園と改称、同時に東京工科学校を東京高等工科学校(乙種)と改称
昭和18(1943)年 学制改革により東京高等工科学校(乙種)が廃校
昭和22(1947)年 新学制により東工学園中学が設置認可
昭和23(1948)年 東京工業学校を廃止し、東京工業高等学校が設置認可、開校
昭和26(1951)年 私立学校法施行に伴い、財団法人を改め学校法人東工学園に改称
昭和42(1967)年 日本工業大学 開学 [機械工学科、電気工学科(現電気電子工学科)、建築学科]
昭和50(1975)年 システム工学科開設
昭和57(1982)年 大学院工学研究科・修士課程設置[機械工学専攻、電気工学専攻、建築学専攻]
昭和62(1987)年 大学院工学研究科・博士課程(後期)設置[機械工学専攻、建築学専攻]/ 工業技術博物館開館
平成 元(1989)年 大学院工学研究科・博士課程(後期)設置[電気工学専攻]
平成 2 (1990)年 学校法人の名称を日本工業大学に変更
平成 5 (1993)年 大学院工学研究科・修士課程設置[システム工学専攻] 留学生別科日本語研修課程設置
平成 7 (1995)年 情報工学科開設 大学院工学研究科・博士課程(後期)設置[システム工学専攻]
平成11(1999)年 大学院工学研究科・修士課程設置[情報工学専攻]
平成13(2001)年 大学院工学研究科・博士課程(後期)設置[情報工学専攻]/ ISO14001の認証を取得
平成17(2005)年 東京・神田神保町に大学院技術経営研究科(専門職大学院)技術経営専攻と専門学校設置
平成19(2007)年 学園創立100周年
平成21(2009)年 ものづくり環境学科、生活環境デザイン学科開設システム工学科を創造システム工学科に名称変更
平成25(2013)年 大学院工学研究科・博士課程(前期)を5専攻から4専攻に改組[環境共生システム学専攻、機械システム工学専攻、電子情報メディア工学専攻、建築デザイン学専攻]
平成27(2015)年 大学院工学研究科・博士課程(後期)を5専攻から4専攻に改組[環境共生システム学専攻、機械システム工学専攻、電子情報メディア工学専攻、建築デザイン学専攻]
平成29(2017)年 学園創立110周年、大学設立50周年
平成30(2018)年 基幹工学部[機械工学科・電気電子通信工学科・応用化学科]、先進工学部[ロボティクス学科・情報メディア工学科]、建築学部[建築学科(建築コース・生活環境デザインコース)]に改編
ものづくりに打ち込んだ100年。初の国産飛行機の開発に携わった実践的な技術教育
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国産初の飛行機の組み立てを見つめる
東京工科学校(本学の前身)の生徒たち
1911(明治44)年5月、青山練兵場(現明治神宮外苑)。ライト兄弟による人類初の飛行からわずか7年後の日本で、国産初の飛行機が大空に羽ばたこうとしていた。
その様子を輝く瞳と紅潮した面もちで見つめる一団の若者たち。この若者たちこそ、日本工業大学の前身である開校間もない東京工科学校の生徒たちでした。目の前にある日本初の国産飛行機を、我が国飛行界の権威であった日野熊蔵大尉の指導のもと、東京工科学校校内に設けられた実習工場で組み立てたのでした。
残念ながらこの飛行の挑戦は失敗に終わりましたが、先進の技術とともにあり、それを生きた工業教育としていく実学重視の伝統はすでにこうして始まっていたのです。
優れた技術者の輩出で日本の近代化を推進
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大正2年当時の校舎
日本工業大学の前身、東京工科学校の開校は、1907(明治40)年。当時の日本は、明治維新後の殖産興業の大号令で近代国家の道へとひた走るものの、技術を持った人材が決定的に不足していました。工業教育は学術的ではあっても実践的ではなかったのです。その両方をひとつにし、現場に、そして最新技術にも強い若手を育てる高い理念を掲げて登場したのが東京工科学校でした。
その歩みは決して平坦ではなく、明治から大正、そして昭和へと時が変わる中、5度にわたる校舎の焼失を繰り返しながらもそのたびにひるむことなく甦り、優れた技術者を世に送り出し、日本の近代化を推し進めてきたのです。学園は、第二次世界大戦後の新しい教育制度で、東工学園中学校、東京工業高等学校へと生まれ変わりました。時代が変わり、名前は変わっても、引き継いできたものがあります。それは、「ものづくりスピリット」と「少年の冒険心」を大切にした実践的教育です。
工業高校出身者のための日本初の工業大学
高度経済成長の時代を迎えた昭和30年代後半に入ると、産業界は技能の習得だけではなく、新技術導入に対応できる能力を持った人材を求めるようになっていました。こうした人材を育成するためには、工業高校出身者の受け皿となる高等教育機関が必要となったのです。ところが、日本全国どこを探しても、そういった大学はありませんでした。『だったら、自分たちでつくればいいじゃないか』。「ものづくりスピリット」と「少年の冒険心」は、ここでもスパークしたのです。
『大学をつくろう』の声を1961(昭和36)年に表明すると、全国の工業高校、生徒の保護者、産業界から熱烈な支持を得ました。それから6年後の1967(昭和42)年に、悲願であった日本工業大学の開学が達成されたのです。大学づくりも、まさしく手づくりでした。校舎の鉄骨部材、教室内の備品、机・椅子約3,800セット、3連ロッカー約200本は、駒場の実習工場で生徒の実習を兼ねて作り上げたもの。保護者をはじめとする貴重な寄付金を1円でもムダにできないという思いと、自分たちの手でやり遂げるんだという気持ちが、そうさせたのでした。
実学を重んじる学園には、手わざによるものづくりから製造業の最先端技術までを習得するために、「なによりも設備の充実を!」の基本方針があります。設備日本一のこの考え方は、日本工業大学においても貫かれました。最先端の各種実験研究設備、人工の雷を起こす超高圧放電研究センター、日本の工業技術の歴史を一覧できる工業技術博物館、さらに動態保存のSLと充実させていったのです。
重要性が叫ばれる体験学習の歴史がすでに100年
大学とは、教育と研究の2つの機能を持つ機関とされています。ところが、なかなか両立できずにいたのが従来の大学です。しかし、日本工業大学はそうではない、という自負を持っています。「工業理論を生産現場の技術として活かすことのできる」人材を育成することが日本工業大学綱領。しかも、ものづくりの喜びにこそ価値を求めてきたルーツがあり、学生とその価値観を分かち合うために、きめ細かに指導して社会に送り出すことにアイデンティティを見いだしてきたからです。
今日、教育界において体験学習の重要性が叫ばれ、それは最高学府の大学においても強く求められていることは多くの人々が指摘するところです。日本工業大学は、1世紀のこうした蓄積を持つ大学なのです。脈々と受け継がれている実学重視の伝統は、色あせることなくさらに輝きを増しています。
明治40(1907)年 東京工科学校 設立許可
明治41(1908)年 東京工科学校 開校
昭和 6 (1931)年 財団法人東京工科学校が設立され、東京工業学校(甲種)を併設
昭和10(1935)年 法人名を財団法人東工学園と改称、同時に東京工科学校を東京高等工科学校(乙種)と改称
昭和18(1943)年 学制改革により東京高等工科学校(乙種)が廃校
昭和22(1947)年 新学制により東工学園中学が設置認可
昭和23(1948)年 東京工業学校を廃止し、東京工業高等学校が設置認可、開校
昭和26(1951)年 私立学校法施行に伴い、財団法人を改め学校法人東工学園に改称
昭和42(1967)年 日本工業大学 開学 [機械工学科、電気工学科(現電気電子工学科)、建築学科]
昭和50(1975)年 システム工学科開設
昭和57(1982)年 大学院工学研究科・修士課程設置[機械工学専攻、電気工学専攻、建築学専攻]
昭和62(1987)年 大学院工学研究科・博士課程(後期)設置[機械工学専攻、建築学専攻]/ 工業技術博物館開館
平成 元(1989)年 大学院工学研究科・博士課程(後期)設置[電気工学専攻]
平成 2 (1990)年 学校法人の名称を日本工業大学に変更
平成 5 (1993)年 大学院工学研究科・修士課程設置[システム工学専攻] 留学生別科日本語研修課程設置
平成 7 (1995)年 情報工学科開設 大学院工学研究科・博士課程(後期)設置[システム工学専攻]
平成11(1999)年 大学院工学研究科・修士課程設置[情報工学専攻]
平成13(2001)年 大学院工学研究科・博士課程(後期)設置[情報工学専攻]/ ISO14001の認証を取得
平成17(2005)年 東京・神田神保町に大学院技術経営研究科(専門職大学院)技術経営専攻と専門学校設置
平成19(2007)年 学園創立100周年
平成21(2009)年 ものづくり環境学科、生活環境デザイン学科開設システム工学科を創造システム工学科に名称変更
平成25(2013)年 大学院工学研究科・博士課程(前期)を5専攻から4専攻に改組[環境共生システム学専攻、機械システム工学専攻、電子情報メディア工学専攻、建築デザイン学専攻]
平成27(2015)年 大学院工学研究科・博士課程(後期)を5専攻から4専攻に改組[環境共生システム学専攻、機械システム工学専攻、電子情報メディア工学専攻、建築デザイン学専攻]
平成29(2017)年 学園創立110周年、大学設立50周年
平成30(2018)年 基幹工学部[機械工学科・電気電子通信工学科・応用化学科]、先進工学部[ロボティクス学科・情報メディア工学科]、建築学部[建築学科(建築コース・生活環境デザインコース)]に改編