フランス革命と聞いて、思い浮かべるのは何だろう。自由と平等という崇高な理念か。革命の中で生まれた、おぞましい恐怖政治か。明治の民権思想家中江兆民は、革命の意義を認めつつも複雑な思いを抱いていたようだ▼遅塚忠躬(ちづかただみ)著『フランス革命』によると、革命の指導者で、政敵を次々に断頭台に送ったロベスピエールについて兆民が書いている。「酷暴(こくぼう)ヲ恣(ほしいまま)ニシ、威刑(いけい)ヲ以テ政ノ主旨ト為(な)シ(残酷な暴力をふりまわして恐怖政治をおこない)……殆(ほと)ンド専制ノ君主ト異ナルコト無キニ至ル」▼恐怖政治から社会の混乱へ。革命が幕を開けてから10年後、軍人ナポレオンによる独裁が始まった。さて話は「アラブの春」である▼2010年12月にチュニジアの青年が焼身自殺したのが契機となり、中東で民主化運動が燎原(りょうげん)の火のごとく広がった。10年後のいま、伝わってくるのは悲惨な話ばかりだ。エジプトでは政権が打倒されたものの、数年後に生まれた政権はさらに人々を抑圧している。内戦となったシリアでは一体どれだけの人間が殺されたのか▼アラブの春などなかった方がよかったのか。そんな問いが報道で目につく。しかし歴史は後退しているように見えて、ジグザグの経路で前に進んでいくものだ。フランス革命がそうだったように▼「何年後かはわからないが、第2、第3のアラブの春は必ず起きるはずだ」。エジプトのジャーナリストの言葉が先日の紙面にあった。人々の胸にあるのは決して絶望だけではない。