中身のないコメントを言うことに全力をあげる。そんな事なかれ主義のアナウンサーが、最近放送されたNHKドラマに出てくる。「やっぱり僕、ズポーツっていうのは体を動かすっていうことだと思うんです」。さすがにこんな人は現実にはいない▼
いや、われらが首相の言葉は案外、それに近いかもしれない。「国民のために働く内閣」という看板も当たり前すぎて空虚だったが、コロナと五輪をめぐる発言も負けていない▼
感染が広がるなかで開催することの危険性を何度問われても、「国民の命と健康を守っていく」「安全・安心の大会にしたい」と繰り返した。感染対策について十分な説明がないまま、緊急事態宣言下で五輪が開かれることになった▼
人の流れを抑えるための強い自粛と、多くの人を動かす巨大イベントの同時存在。「アクセルとブレーキを一緒に踏んでいる」など、これまでも政府が発するメッセージの矛盾は指摘されてきたが、いよいよ極まっている▼
ジョージ・オーウェルの不気味な近未来小説『一九八四年』には、監視国家が人々に押し付ける「二重思考」なるものが出てくる。「戦争は平和なり」「自由は隷従なり」「無知は力なり」。本来は矛盾した言葉を繰り返すことで、人々の感覚をまひさせるのだ▼
いま強いられているのも、この二重思考の類いかもしれない。「自粛は祝祭なり」「感染拡大は安全・安心なり」。国際オリンピック委員会の奥の院で、誰かがつぶやいていそうな気がする。
いや、われらが首相の言葉は案外、それに近いかもしれない。「国民のために働く内閣」という看板も当たり前すぎて空虚だったが、コロナと五輪をめぐる発言も負けていない▼
感染が広がるなかで開催することの危険性を何度問われても、「国民の命と健康を守っていく」「安全・安心の大会にしたい」と繰り返した。感染対策について十分な説明がないまま、緊急事態宣言下で五輪が開かれることになった▼
人の流れを抑えるための強い自粛と、多くの人を動かす巨大イベントの同時存在。「アクセルとブレーキを一緒に踏んでいる」など、これまでも政府が発するメッセージの矛盾は指摘されてきたが、いよいよ極まっている▼
ジョージ・オーウェルの不気味な近未来小説『一九八四年』には、監視国家が人々に押し付ける「二重思考」なるものが出てくる。「戦争は平和なり」「自由は隷従なり」「無知は力なり」。本来は矛盾した言葉を繰り返すことで、人々の感覚をまひさせるのだ▼
いま強いられているのも、この二重思考の類いかもしれない。「自粛は祝祭なり」「感染拡大は安全・安心なり」。国際オリンピック委員会の奥の院で、誰かがつぶやいていそうな気がする。