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日语作文范文:中日翻訳の魅力(2020年天津外国语213翻译硕士日

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中日翻訳の魅力(二)
翻訳の定義について、古今東西、いろいろな言い方がされてきた。魯迅は「翻訳は再創作である」と言った。私の経験に即して言えば、「ある言語で表現された情報を、別の言語の等価な情報に置き換えること」というのは、いろいろなジャンルに当てはまる定義だと思う。(様々な分野が)グローバル化になる(→している)現在、インターネットで外国のこと(を)すぐに知られる(→知ることができる)。翻訳はますますもっと(→より)重要になってきた(→きている) 。翻訳を通じて、さまざまな外の情報を(自)国に伝える(ことができる)。大勢の人は外部の情報を知られるように(→知ることができる)翻訳に興味がある(→を持っている)。皆は(→翻訳に携わる人は誰でも)自分の翻訳(の)正確性を高めるために、競争の中で皆は追いつ追われつ、たえずに進んでいく。私にとって翻訳の魅力が(→には)三つがある。一つは、翻訳を通じて日本という国を知ることができる。小さいころ、日本のアニメを見て、いろいろな素敵な思い出ができた。一番好きなアニメは『ちびまる子ちゃん』である。その中で優しさ、愛を習った。  その時、丸子ちゃんは世界で一番幸せな人だと思った。丸子ちゃんの家はいつも和やかに楽しみ打ち解け合っている。しかし、中学生の時、歴史の授業で南京大虐殺を勉強した。その時、私の頭でいろいろな疑惑を抱いた(→複雑な感情/思いがわき起こった)。毎日ニコニコしている丸子ちゃん(に)もこんな怖い面がある(のだろう)かと考えた。だが、大学で日本語を勉強する中で、いろいろな日本に関係がある本を読み、例えば、『菊を(→と)刀』から、日本人についての理解が深まった。
 二つ目は、翻訳を通じて多元的な文化を知ることができる。例えば、「瘦死的骆驼比马大」は「腐っても鯛」と訳す。中国は大陸の国なので馬や駱駝がかなり普遍的である。日本は島国(の)ため、漁業が盛んで、魚に関する慣用語を(→は)数え上げればきりがない。一部分で日本の文化は中華文化と区別あるが、ある部分で似(てい)るところがある。日本は3世紀から中華文化を輸入(吸収)している。例えば、「足を洗う」、この言い方は仏教を語源としている。現在は中国も日本も悪事から抜け出すという意味を指す。これはとても面白いと思って、引き続き(このような事柄を)学んで行きたい。 最後は翻訳を通じて中国知りたがる(→のことを知ろうとしている)日本人を助けることができる。SNSで中国の悪口を言う人はよく見られる。多くの人は事件の片面しか見ない。日本に住んでいる日本人は中国に悪い印象をもたらす(→持っている)。現在の中国は昔よりずっと良くなる(→なったORなっている)。(私は)こんな素晴らしい国を全世界の人に見せるべきだ(と思っている)。だから翻訳者の皆さまが(→翻訳に従事する/携わる人は誰でもが)中国の物語を発信する責任を担うべきだと思う。祖国のために力を捧げることは誇りを感じる。こうして(→私もそのようにして)翻訳の夢を追い続けて、様々な試みのなかで時には雨風に晒されながらもしっかりとして(→た)幹に育ち、これからも大きな実を結んでいきたい(→結べるような翻訳者となりたいと思っている)。
积累
古今東西:(ここんとうざい)古往今来。
に即して:就~;符合~;按照…;根据…。表示以某项规定、规则来进行处理。 eg:現実に即して考える。
置き換える:换到,挪到;调换,互换。 eg:右と左を置き換える。
追いつ追われつ:你追我赶。
腐っても鯛:(くさってもたい)本来すぐれた価値を持つものは、おちぶれてもそれなりの値打ちがあることのたとえ。好东西腐坏了也比一般东西好,瘦死的骆驼比马大,船破还有三千钉子。
足を洗う:好ましくない仲間や仕事から離れて、まともな生活をする。金盆洗手。
捧げる:双手捧举;献出,贡献。 eg:心臓を捧げよ!


IP属地:湖北1楼2022-08-22 11:00回复