唐破風は平安時代からありました。ただ、同時代にどのような経緯を経て唐破風が生まれたのかはよくわかりません。院政期(後白河法皇)の法住殿を描いた年中行事絵巻を見ると庇の欠けた屋根を見掛けます。
法住殿の西対代の庇の欠け(年中行事絵巻)。
これは輿を簀子の階段に寄せると輿の屋根が庇に当たってしまうため欠けにしたと思われます。この欠けがいつまでも同じまま、というのは流石になく鎌倉時代になると欠けの部分を唐破風で補うようになります。これが軒唐破風へと成り、寝殿に繋がる簡略化された中門廊にも設けられます。さらに唐破風の出書院、そして書院造りに見る唐破風玄関へと発展していったと思います。
春日権現験記絵(14世紀、室町時代初期)に出てくる軒唐破風。
法然上人絵伝(14世紀、室町時代初期)に出てくる軒唐破風。
法然上人絵伝に出てくる中門廊の軒唐破風。
伊勢新名所絵歌合-伊勢大神宮家-河辺氏館(大中臣)の唐破風玄関。
法然上人絵伝(14世紀、室町時代初期)に出てくる唐破風の出書院。
慕帰絵詞(14世紀中葉、義満の生まれた頃)-に出てくる唐破風の出書院。
平家物語絵巻(13世紀、鎌倉時代の成立か)に出てくる平唐門に向かい唐破風の門。
同じく男衾三郎絵詞に出てくる唐立蔀と手前の向い唐破風の玄関。
秀頼再建の二期目の方広寺大仏殿(洛中洛外図屛風)。破風が唐破風に変化しているのが分かります。現在の東大寺大仏殿も同じですね。