98.【パトリシア・キンドレッド】気色悪い国
「……ほんとバカ」
エドワードとの戦いで消耗しきったブレイブ家の三男が、あっさりベリアルに敗れてしまった光景を前に、思わず額を抑える。
胸を貫かれても平気な顔をして、首だけになってもとんでもない形相で相手に喰らいつく姿は、勇者の血筋とはとても思えない光景だった。
学園での企みに関して色々と邪魔をしてくれた手前、もうこれ以上迂闊に近寄るべきではない相手だと思っていたのだが……。
ゲームの知識がない状況では、ただの猪ね?
「はあ、そんな奴に今まで邪魔をされていたなんてね」
拍子抜け過ぎて溜息が出てくる。
現代を生きた記憶が存在していて、どうしてここまで容赦なく同じ人間を殺すことができるのだろうか。
ブレイブ領、捨て地と呼ばれる土地。
私が身を置くコンティネント公国との因縁も深く、長きに渡ってずっと小競り合いを続けてきた領地だった。
だからだろうか?
長きにわたって繰り広げられた戦争は、こうも人の在り方を変えてしまうものなのだろうか?
しかしながら、首と身体が離れ離れになってしまったこの男。
「とてもじゃないけど、物語の勇者とは思えないわね……」
捨て地の猿と言われても仕方がないのは、こういったタガが外れた精神性じゃないの、と心の中で思った。
これが勇者ならば、殺人鬼は誰だって勇者よ。
「何が目的か、だったな?」
あっけなく死んだブレイブの首を片手に、そんなブレイブが本当に殺してしまったエドワードの死体を逆側の小脇に抱えたベリアルが、上空から観客席にいる私の前まで降りてくる。
死の連鎖もここまで来れば、何かの呪いなんじゃないかと疑ってしまうレベルだった。
「まず汚らわしい手で掴んだその死体を降ろしなさい」
質問に答えるのは一つだけど言われたので、命令形で話す。
「無理だ。これは貰っていく」
この悪魔は、生まれたばかりのジェラシスに強制的に憑りつかされていた悪魔であり、イグナイト家の禁忌とも言っていい存在だった。
だから、面識があった。
幼少期、苦しみもがくジェラシスからベリアルを剥がしたのは私で、依り代が居なければ悪魔は現世に留まれないから二度と会うことはないと思っていたのである。
「幼児の身体から解放してあげた恩を忘れたとは言わせない」
「解放? 騙されたとしか思ってないが」
ベリアルは首を傾げながらブレイブの首を私に投げ渡した。
「これはいらん。もう唾が付いてる。嫌いな匂いだ」
バカの首なんていらないけど、死んだままだと色々と今後に差し支えかねないから今は受け取っておく。
「……で、何が目的?」
「補充だ。上を見ろ、無くなってしまっている。守護障壁が」
「そんなの見ればわかるから」
私はまだ何も障壁に手を下してはいない。
公国側の戦力が侯爵家の息のかかった領地を経由してここまで来るのにはもう少し時間がかかってしまうからだった。
それなのに唐突に消滅してしまった障壁。
「消滅するまではまだまだ掛かる。それはアンタが言ったこと」
過去に対話した時、教えてもらっていた。
本当のことをベラベラと話すような奴ではないが、腐った貴族と違って嘘を言うことはない。
つまり、私ではない誰かの手によって守護障壁は消滅させられたということになる。
この場において権限の書き換えができる代物は、私の持つジェラシスルート用の聖具もしくは、この生首バカにかすめ取られたエドワードルート用の聖具のみ。
「……彼女に、マリアナに何かしたら許さないわよ?」
「質問が多い。目的の回答だが、貴様がコンティネント公国を通じて、この国に良からぬことを企てていたことは筒抜けだぞ」
「ま、そりゃそうよね」
侯爵両家が動かしてた裏のへんてこな名前の組織は、権利を持つエーテルダム王家と血約を結んだ奴ら。
筒抜けなのはわかっていたし、侯爵両家が半信半疑で担ぎ上げているのにも裏があるとは思っていた。
それでも別にどうでもよかった。
守護障壁にアクセスできるのならば、どうでもよかったのである。
関わる連中、誰に対してもメリットが存在し、私は自由に動けた。
唯一、懸念材料だった聖具を持つ生首バカにも変なことはするなと釘を刺しに行ったし、他の聖具は夏に全て回収して公国の海に捨てたのだから。
あのクソみたいな障壁はそれで無くなり、無くなったまま戻すことはできなくなる。
全ルート進めてクソみたいな逆ハーレムに耐えていたのはそれが理由。
これでマリアナが将来死にゆく未来は訪れない。
「小娘一人で一国がどうにかなると思ったのか?」
ベリアルは続ける。
「エーテルダムは阻止するべくイグナイト家に私を呼び出させた」
「あっそ、懲りずにアンタをまた呼び出すなんて、あの一家は碌な運命を辿りそうもないわね」
「人聞きの悪い。今まで目を瞑ってもらえてたのだから、十分に甘い汁を啜ったようなものだ。もういらないだろ、残りの人生」
言葉的には、全滅したか。
近い内に全滅か。
「ベリアル、目的の中に障壁も件も含まれているのならば答えなさい」
「あの障壁がもう長くないことなんて王家はわかっていた。勇者の血筋の到来と聖女を騙る存在の到来、だから早まっただけだ」
ふわっと浮かび上がるベリアル。
「彼らの使命は障壁の維持。愚かにも私にその手伝いをさせるのだから罪深い。しかし、約束は約束だ」
ベリアルは状況を嘲笑うようにしてくつくつと笑う。
「あの小娘一人で百万人単位の命が救われるのなら本望だろう。人とは本当に、面白い存在だ」
「待ちなさい。エドワードの死体は必要ないはずよ」
「あの戦いを見てわかっただろう、こいつは特別だ。障壁を新たに作り直すだけの資質を秘めている。賢者の器とでも言えば良いのか」
「逃がすと思ってる? アンタ、私の道を邪魔するのならば消すわよ」
「こちらのセリフだが、あいにく私に貴様を殺す手立てが無いのが残念だ。厄介だな精霊という存在も。私たちと同じ純然たる濃密な魔素を持ちながらあいつらだけ世界に存在することを許される」
ベリアルに私は殺せないのは確かだった。
しかし同時に、私も彼を殺す確かな手段を持ち合わせてはいない。
それが現状。
「魂のうつろい、様々な運命を操るなんて大層なことにどれだけの犠牲を払ったのか……ククク、愚かだが私は嫌いじゃない」
それだけ言い残してベリアルはエドワードの死体を持って消えてしまった。
「……まったく、クソ面倒なことになったってコト? クソクソクソ」
とりあえずブレイブの髪を掴み上げて頬を往復ビンタしておく。
このバカのせい。
この場で本気で殺し合って、本当にエドワードを殺して、どこが勇者の血筋なのか。
「まっ、とりあえず蘇生ね。薄いけど障壁が出血を防いで循環させてるみたいだから、ほんっとゴキブリみたいな生命力」
こいつの戦力は使える。
ベリアルをも斬れる剣になる可能性を秘めていた。
現状マリアナを守ることには同意するだろうから、蘇生しておいても損はないだろう。
「ほんと、とことん悪魔に頼り切った王国」
障壁の無くなった空を見ながらそう息つく。
こんな国の人柱だなんて、古の聖女はどんな気持ちで障壁になったのかしら?
無理やりなのが良い線よ。
ベリアルの言葉から察するに、エドワードは古の賢者の生まれ変わりみたいな感じ?
「気色悪い執着心ね?」
古今東西、束縛男は嫌われるもの。
どちらかと言えば、彦星と織姫に近いのかしら?
ロマンスなメンヘラ男子は厄介過ぎて彼氏にもしたくないランキングナンバーワンじゃない?
「クソクソクソ!」
往復ビンタをすればするほど、どういうわけか障壁が厚さを増していた。
もはや細胞レベルで刻まれている。
ゴキブリじゃなくてプラナリアといっても過言じゃない。
「この状態から戻すにはキスするしかないのが、釈然としないけど」
ま、あれだけアリシアと一つ屋根の下で過ごしてるならば、別にキスの一つや二つ、どうってことないでしょう。