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クリシュナムティ様の文書を読んだらの感想文

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「 永遠に続く幸福と安定」は存在しない。幸福は今こそが見つかるから。今何か書いたら多分この今時の困ったことが分ったような気がしたが、また困った時、「この書いた文章読んだらきっと解決できる」とか、「その時書いた物が正しければ、きっと今回も正しい、ずっと正しいから」とかのようなことは決してそうではないだろう クリシュナムティ様により、その永遠に幸福できた道は多分ないだろう。なぜなら、快感は時間による存在できた物で、「永遠に」はその時間を混ぜたものでもある。いつも快感や幸福を追い詰めていた者は必ず疑問を抱くようになる。そのずっと追い詰めている者はもしいつかその足をとめれば、「幸福と喜びはすぐそばにいる。一歩も踏み出さずに見つけたものだ」と気づくんだ。走っても走り回っているだけです。幸福への追い詰めた足を止めれば、幸福がすぐそばから出る。これが真実。実と言えば、今の私がここで書いていることも快感を追い掛けていることと同じだ。「安全感」を追いかければ追いかけるほど、その「安全感」がどんどん離れていく。時間は最大の嘘つき者、「一時間後きっと仕事あるいは宿題が終わる」、「数カ月後私がやせる」、「何十年後きっとお金持ちになる」って時間にこういう約束をされた。時間の表は助け物、もし約束が破ったら時間が裏になって、裏は最大の嘘つきだった。そのため、時間にはどんな願いも託しても「安全感」も来ない。今こそ、今じゃなければならない今こそ、その「安全感」の追いかけを諦めて、なるべく速く「今の安定」を見つける。そうすれば、「安定」がすぐ来る。私たちも落ち着く 。 「山の向こうは海だ。」、「太平洋を超えれば、大都市のニューヨークだ。」、「その花は美しい。」「あの環境は心を癒す。」、私たちは生まれてから人々の描出の言葉の中で育ててきた。人が描く絵巻、人が詳しく説明した言葉だけで、私たちが満足した。人の説明してくれた世界に浸って、「幸福」に暮らした者はずっといられて、「幸福」ではない人たとえ私のように、その描かれた世界に疑問を抱いて、慌てて速く、ほかの人の描いた別の世界で見つけたがって、一秒でも速いほど浸り直したがっている。見つければ良いが、見つけなければどうする。頭うろうろして、毎日ゴロゴロして、「きっと未来は私が救われて、私が認めた新しい描かれた世界に連れられる。」って信じ込んでいる。信じこまない人はもっと可哀想だ。信仰を失う人に、不安障害、うつ病、大変な目に合わせたものだ。そして聞きたくなった。どうして自分の運命と救いは他人に頼むか。あの先生でも、師匠でも、聖人でも、救世主でも、神様でも 、仏様でも、彼らに描出した世界に浸ってもいいのか。彼らの言葉は元々強いが、私たちの信じ込んだ思想により細かい加工でより強くなってきた。それで、より信じ込んできた。こうしちゃいけないと思う。他人の描出した世界で生きていられば、私たちは「中古者」とはどんな違いがあるだろう。何の違いもなく、ただの「中古者」になるんだ。そのため、そのいわゆる「救済の道」はもともと存在しない。誰さまが「中古者」の身に大量時間かかるか。「中古者」の私たち唯一の救済の道は必ず私たち自分で開拓しなければならない。このことを気づけないといけない。そうしたら、私たちは「中古者」から解放して、ようやく自分のその「救済」の道を踏み始めた。


IP属地:辽宁来自Android客户端1楼2025-02-15 12:35回复
    「この道はどうやって開拓するか、誰かさんに教えてほしい。」というような質問が頭からくるだろう。賢い君はすぐ気づいた、「また誰かに頼もうとした」と、「こうしたらまた他人の世界に囲まれてもうた。」と気づくだろう。それで君は分かった。その道は君自分自身じゃないと何ん誰さえも見つけてくれない物だ。私の道、君の道、ほかの誰かさんの道、みんなそれぞれ違うんだ。私が君に教えたら、君をまた新たな「中古者」にならせた。それは君も私もいやなものだ。自分で見つけよう。考え抜いても道も出なくても考え抜いてほしい。自分がスマホがないとの孤独、自分がスマホから抜いたばかりの寂しさ、部屋の中は自分以外1人もいなくて、何にしようと分からない茫然、地下鉄とバスで、学校と職場で、色々な世の価値観で比べられれば私よりすごい人を見ればの嫉み、そして時々どうしても抑えられない怒り、一杯心を出して対等な扱いがもらわなかった時の落ち込み。これらの正真正銘な負の感情でもあるが、正真正銘人間とした君自身の一部であろうではないか。自分自身さえも分からなれれば、どうやってその「きゅうさいのみち」が発見できるか。今世代の私たちは(どの世代とも同じだけど、けいしきはちがうだけだ。」これほど多くの負の感情に面しては、スマホ、薬、アルコール、自殺までで自分のつまらない人生をすごして、そうしたら、自分が負の感情と残酷な事実から逃げ出すことができて、直面しなくても済んだ。どうして直面しないか。直面できないか。それとも、直面したら、その醜い、気弱、嫉み、怒り、孤独、茫然など、君が認めた「嫌なもの、私なら絶対こんなものに悪影響されはしないから。」様々な「悪い」情緒が直接に君の顔に突っ込んで。「何やこれ!私のようなすごい人ではこれほど「悪い」情緒持つべきするものか!速く考えずにしよう!そうしたら、彼らは私の身の中から出ていった。」って残酷に気づかせてくれるだろう。どうしてどうしても納得できなきだろう。たとえ大統領、総理大臣、宗教のリーダー、聖人でも、彼らでも何数倍、何十、何百、何千万億倍ほどの「悪い」情緒を持っている。彼らほどあんなに「成功」した者さえもこの「悪い」情緒を持っているのに、何で私たちがこの「悪い」情緒を許せないの? 直面しよう!直面すれば良い。一切の言い訳の曇りを剥いて、はだけであれらの「わるい」情緒をみよう。嫌なのか、恐怖なのか。認めたくないのか、行使ちゃダメなのか。直面した瞬間全ての不気味の感じもご一緒直面しよう。そうすれば、うそつきの時間めの制限が超えられて、「そのすべての嫌な情緒、嫌な怒り、醜い、気弱、嫉み、孤独、みんなはわたしの一部だ。」と気づかれる。拒否しようともなく、解決しようともなく、仕方ないから受けようともなく、未来のいつかきっとなくなる予想しようともなく、そのままでこのいまこその時にあいつらとそばにいられてあげて見つめて、時間の空きの間隔も消せ、世界の全てが静かになるんだ。別に急いであいつらを解決しなくても済む。今どきの美しさは過去よりも未来よりも、いつよりも美しい。今時の思想と思考と情緒と反応も全てをただ観察して、ただ観察したら、美しい花が咲く。


    IP属地:辽宁来自Android客户端2楼2025-02-15 12:36
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