武库川大桥
何ヶ月か前、小林多喜二の「蟹工船」がよく読まれてるというので大きな书店に行ってみたら确かにたくさん积まれていた。
ブームだそうで、喜ぶべきか悲しむべきか、むずかしいところだ。
中学3年生の时、担任の先生が何かの授业中にこんなことを言われた。
「君なら読めるだろう、読んでみなさい」
蟹工船のことである。
「君なら」というところが、自尊心をちょっとくすぐられたのだろうが、后日本屋さんにいった。
仆は学校の本以外ほとんど読书らしいことはしたことがなかった。
本屋さんに行っても、文库本は大人の読む本で、18歳未満の手にするものではないくらいに思っていた。
家に帰ってからもこっそりと人目を忍んで読んだように思う。
どんな感想を持ったかは今では思い出せないが、小说のいくつかの场面は覚えている。
それを远い戦前の话と思ったのだろうか、それとも自分の父亲の仕事のように现実のことと思ったのだろうか。
今から思えばまだ戦后20年余りの顷、60年安保からもそう离れていない时代だった。
この桥のたもとにある甲子园ホテルが「进驻军のホテルだった」とか、意味もわからず知っていたころだ。
河川敷にはバラックがたくさん建っていて、そこに住んでる友达も何人かいた。
のちに立ち退きさせられたが、このことの意味も全然分からなかった。
今この河川敷にはたくさんのブルーシートにホームレスの人たちが暮らしている。
子どもの记忆でも、そのバラックの人たちはみんなで助け合って暮らしてたように思う。
子どもたちがみんなで楽しく河原でいっしょに游んでたように思うからだ。
今この河川敷ではひっそりと一人一人が离れて孤独に暮らしている。