このカウナスの旧市街で见かけた窓は、帰ってから描いてみたいと何枚も写真にとりました。
「窓」にはなにか物语るものがあるようにいつも思います。
若い顷から、自分の授业の教科通信に「日本史の窓」とか「世界史の窓」というようにタイトルをつけて现在まで続いています。
なんで窓なの?と闻かれても、闻かれなくても、「窓を开くと世界が见える」などとこじつけの说明をします。
ついでに松山千春の「小さな窓から见える、この世界が仆のすべて、空の青さはわかるけど広さはわからない」わからないから勉强するの、というのが说明の结末です。
これはマイクロソフトがウィンドウズをつくるより先から使ってる、と言うと、だからどうなの、と生徒。こんなことばかりやってきた。
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