ロヴロ・フォン・マタチッチ[1899-1985] Lovro von Matacic
クロアチア出身。指挥者、作曲家。1908年ウィーン少年合唱団に加わり、1916年ケルン歌剧场のコレペティトゥアを务め、1919年には指挥デビューも饰るが、第一次世界大戦が勃発して従军志愿。终戦后、オシエク、ノヴィサド、リュブリャナ、ザグレブなどの歌剧场を経て、38年ベオグラード歌剧场音楽监督およびベオグラード・フィルハーモニー管弦楽団首席指挥者に就任。36年にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に客演。第二次世界大戦でも従军し、クロアチア军の音楽队を监督する傍ら、ザグレブ、ウィーン、ベルリンなどで指挥活动も続けるが、ナチス协力者として逮捕され1年以上投狱される。戦后、スコピエで音楽活动を再开し、ドゥブロブニク、スプリット音楽祭を创立。やがてミュンヘンやベルリン、シュトゥットガルト、ザルツブルク、グラーツなどへ活动范囲を拡げ、56~58年ドレスデン州立歌剧场およびシュターツカペレ、ベルリン国立歌剧场音楽监督(F.コンヴィチュニーと共同音楽监督)。58~64年ウィーン国立歌剧场。59年シカゴ・リリック・オペラ出演。61~66年フランクフルト歌剧场総音楽监督。70~80年(~82年?)ザグレブ・フィルハーモニー管弦楽団音楽监督(のちに终身名誉指挥者)、74~79年モンテカルロ歌剧场音楽监督(のちに终身名誉指挥者)。ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、ロンドン・フィル、プラハ・フィルなど欧米各地のオーケストラの客演や、ミラノ・スカラ座、バイロイト音楽祭(59年「ローエングリン」)、ローマ歌剧场などオペラも多数指挥。ブルックナー、ワーグナー作品の解釈に定评があるほか、ヤナーチェク「イェヌーファ」などスラブ系作曲家の作品でも知られ、クロアチアの作曲家の作品も精力的に取り上げた。国际ブルックナー协会よりブルックナー・メダル、ウィーン交响楽団よりブルックナー・リング、チェコ共和国政府よりヤナーチェク・メダルおよびスメタナ・メダル、オーストリア政府より一等文化学术十字勲章、ベルリン・フィルよりハンス・フォン・ビューロー・メダル受赏。NHK交响楽団名誉指挥者。