ーサンダルと路上ライヴー
では具体的にどうしたらもっとたくさんの人に私の歌を聴いてもらえるんだろう?そう考えた時に真っ先に浮かんだのが時々道端で見かけたことのある路上ライヴでした。
「許可はいるのかな?機材はどうやって集めたのかな?」と、全てが未知だったからこそ益々知りたくなり、直接路上ライヴをしているミュージシャンに聞きに行こう!と私は出かけることにしました。しかし一人では不安でたまらない…そこで、寝ていた弟を夜叩き起こして、一緒に連れて行くことにしました。心優しい弟は、目をこすりながら寝ぼけていたためか、間違えてぶかぶかのサンダルを履いて来てしまったものの、私の冒険に付き合ってくれました。今思うととても奇妙な光景だったと思います。夜遅い時間に二人の見窄らしい兄弟が駅を彷徨っているのですから。(笑)
結果、その時初めて話を教えてくれたバンドの好意で、ライヴハウスのイベントに出演させていただいたのが、黒川沙良にとっての初めてのライヴステージでした。
(ストリートミュージシャン制度許可証を取得した初めての路上ライブの様子が掲載された当時の新聞記事。)
ー恥ずかしすぎる思い出ー
黒川沙良として音楽活動をスタートさせた私は、とにかくステップアップしたくて必死でした。オーディションを受けまくろう、とにかく目にとまってもらおう、そのためにはどうしたら良いか。悩みはいつも母に相談しました。すると母は「サラの好きな人に曲を送ってみたら?」と一言。…そうか!そうしよう!そう思った私は早速ビデオテープを作りました。
カセットテープよりもビデオの方が熱意が伝わる気がするという勝手な思い込みだけでビデオテープにしたのです。少しでも目に止まるためにドレスを着て撮影しよう!そして今一番自信のある曲を撮ろう!そして多くは語らないミステリアスさで勝負に出ようという、今考えたらどうしようもない、私が精一杯生み出した作戦で「聞いてください」とだけ書いた手紙を添えて私はその時期とてもよく聴いていた、とある音楽家の方にビデオを送ったのです。今では恥ずかしすぎて思い出すのも赤面しますが、初めて私がビデオを送った方は、音楽家の久石譲さんでした。ゴツゴツした手作りの贈り物でどう考えても怪しさ満点。仮にもしも奇跡的に中身を開けてくださっていたとしても「聞いてください」という一文に見ず知らずの少女の気合の入ったビデオ。意図すら読めない、本当に申し訳ないことをしてしまったと今ではただただ反省しています。その後、これに懲りずに家族で観に行った槇原敬之さんのコンサート会場でもスタッフの方に、同じく「聞いてください」だけのお手紙を添えたビデオテープをお渡しした記憶があります。仮にもしも奇跡的にスタッフの方が中身を開けてくださったとしても…想像するのも恐ろしいくらいの赤面の記憶です。