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【原著】日语版『华丽なる一族』上、中、下(带假名哦~)

只看楼主收藏回复

恩,本人不才,日语码字速度才一小时600来字,所以检索了一下,终在某处得到日语原版带假名的文档。由于我不清楚最初的出处到底是哪,所以无法提供其原链接地址,总之谢过那些分享的网友了。为了能让本作发扬光大,所以直接搬于此。由于里面很多汉字是有假名标注的,所以很适合学习日语的朋友读一读,这样也免去了大家看到生字还要查字典的麻烦。
在发上来之前,我会对其中内容做些修改,当然原作的内容我是不会改的,一个假名也不改,只是改些形式上的东西,以便大家更好的阅读而已。同样出于此目的,在楼主连载发文期间切勿回复,如要表达喜爱之情,可点击下方的置顶按钮。
最后如果喜欢本作的话可以去外文书店或者日本人聚集地(如上海虹桥地区)的书店购买。目前市面上发行的日语原作是新潮文库出版的三卷本,总价格以目前的人民币兑日元的汇率差不多是300多rmb。
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以下送上本作的上部封面图和山崎丰子女士近照:





IP属地:上海1楼2011-09-20 19:27回复
    为了更好的体现原作,我决定把封面上的作者介绍和封底的粗筋也一并发上,这是本人手码的。
    作者介绍将在下楼放出,粗筋则放在单本连载完后放出,以用来帮助读者回忆总结之前的剧情。


    IP属地:上海2楼2011-09-20 19:38
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      山崎豊子
      Yamasaki Toyoko
      1924(大正13)年、大阪市生まれ。京都女子大国文科卒。毎日新闻社学芸部に勤务。当时、学芸部副部长であった井上靖のもとで记者としての训练を受ける。勤务のかたわら小说を书きはじめ、′57(昭和32)年『暖帘』を刊行。翌年、『花のれん』により直木赏を受赏。新闻社を退社して作家生活に入る。′63年より连载をはじめた『白い巨塔』は锐い社会性で话题を呼んだ。『不毛地帯』『二つの祖国』『大地の子』の戦争3部作の后、大作『沈まぬ太阳』を発表。′91(平成3)年、菊池赏受赏。


      IP属地:上海3楼2011-09-21 17:22
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         万表家では、一族が揃(そろ)った晚餐の席では、今夜はフランス语、明晚は英语の会话でというのが、一种の习惯のようになっていた。しかし、万表家はもともと外交官の家筋でも、贸易商でもない。万表という苗字(みようじ)が示すように代々、姫路の播州(ばんしゆう)平野に米蔵(こめぐら)十仓を有する大地主であったが、第一次世界大戦が勃発(ぼつぱつ)した时、十三代目にあたる大介の父、敬介が神戸に万表船舶と万表鉄工を创立し、船舶ブームが顶点にさしかかる直前に、万表鉄工を残して、万表船舶の持船全部を売り払い、それを资金にして万表银行を创立したのだった。そしてその后、群小の田舎银行を次々と吸収して、昭和九年に现在の阪神银行の基础を创(つく)り上げ、万表鉄工の他に、万表不动产、万表仓库をも兴(おこ)して、万表财阀の基础を创设したのだった。亡父の迹を継いで阪神银行の头取になった大介は、父の代には一介の地方银行に过ぎなかった阪神银行を、今では全国第十位の都市银行にまで発展させ、万表鉄工も阪神特殊钢と改称し、近代的な设备をもつ特殊钢メーカーに成长させたのだった。
        「お父さん、明日は恒例の年头の辞を述べられる日ですね、お父さんの年头の辞は、関西の経済记者が注目しているだけに気をぬくわけにはいきませんね」
          阪神特殊钢の専务をしている长男の鉄平が、父よりも死んだ祖父に似た色の浅黒い精悍(せいかん)な颜を父に向けた。东京大学の工学部冶金(やきん)科を卒业し、アメリカのマサチューセッツ工科大学に留学后、すぐ阪神特殊钢に入り、现在、三十八歳の若さで専务になっている鉄平は、父が毎年、阪神银行の仕事始めに行う年头の辞を、直接、闻くことは出来なかったが、异色财界人として鸣り响いている父の话は、同じ経営者として大いに兴味を持っていた。
        「うむ、だいたいの骨子は、秘书课长に话して草案を作らせているが、银平にも勉强の意味で意见を出させているよ」
         と云い、大介と同じ庆応大学の経済学部を出て、阪神银行本店営业部の贷付课长をしている次男の银平の方を见た。银平は、父に似た端丽な颜で、
        「お父さんには有能なブレーンがいらっしゃるのに、勉强だと云って、こうしごかれるのでは、よその银行へ入った方が、よっぽどよかったですよ、はた目には头取の御曹子(おんぞうし)で结构なご身分と思われているのですがね」
         と云うと、银平の隣に坐っている次女の二子(つぎこ)が、
        「そんなの、いっそ、止(や)めておしまいになったら? 行员の方(かた)は直立したままでお父さまの年头の辞を闻かされるわけなのでしょう、お父さまったら、ご自分のご趣味は、大へんなハイカラ好みで、私たちを、海外へ留学させて向うの教育をおつけになるのに、他の面では随分、封建的なところがおありやわ」
        「だが、年头の辞は、阪神银行の创设者であるお前たちのお祖父(じい)さんの时代から、ずっと続いているしきたりだから、一朝一夕には止められない、それに都市银行でオーナー头取であるのは私ぐらいのものだから、すべてオーナー头取らしく振舞うことにしている」
         と云い、ワイン.グラスを口に运び、
        「ところで、鉄平の方の今年の抱负はどうなんだ?」
        「今年はまだまだ自动车产业が伸びますから、轴受钢(じくうけこう)を中心にして、多量生产のための大型设备投资を思いきってやりたいと考えているんです、それが実现すれば、轴受钢の市场占有率(シエア)はトップになり、特殊钢メーカーとして、不动の地位を固め得ると思いますよ」  技术者であったが、経営面でも积极策で押して行くタイプの鉄平が热を笼(こ)めて话すと、大介の颜に笑いがうかんだ。


        IP属地:上海5楼2011-09-21 18:05
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          「そんなことを云って、また私から何十亿かを引き出す魂胆らしいな、もちろん、阪神特殊钢も、お前たちの祖父が创立した会社だから、大いに発展させなければいけないが、阪神特殊钢をはじめ、万表不动产、万表仓库、万表商事など万表コンツェルンの根干は、阪神银行なんだということを忘れぬよう」
           银髪の端正な颜だちの中で、眼光の锐い眼が光った。鲷(たい)のコニャックの蒸し煮の次に、ビーフ.ステーキの上にフォアグラを添えたドルヌード.ロッシティの皿が运ばれて来た。
          「あら、パリのマキシムのお献立と一绪ね、覚えていらして? お姉さま」
           末娘の三子が、はしゃぐように云った。
          「そうね、あなたと二人でパリにいた时、お父さまが国际金融恳话会でパリにいらして、マキシムに连れて行って下さったわね、美味しい、美味しいって、キャビアのオードブルからスーフレのデザートまでフルコースを注文して、さてお勘定をすませたら、お父さまのポケットのお财布に五フランも残らなくなってしまって、ホテル.ジョージ五世まで步いて帰ったわね」
           次女の二子が昨年の春、大学卒业と同时に、まだ在学中の三子とフランスへ行っていた时のことを思い出し、くっくっと笑うと、鉄平の妻の早苗(さなえ)も、
          「お舅(とう)さまがタクシー代にこと欠《【{这里居然要防和谐。。。。}】》かれるなど、日本では考えられないことですわ、それがマキシムのお料理のせいだったと思うと、頬笑ましくて――、私も、実家(さと)の父のお伴(とも)をして、パリへ行った时、マキシムへ参りましたけれど、あの时は大使のお招きでしたから、お勘定の心配はありませんでしたけれど――」
           曾(かつ)て通产大臣と国务大臣を歴任した実家の父、大川一郎と旅した时のことを话した。早苗は、総疋田の访问着にエメラルドの帯止めをし、二子と三子は、カクテル.ドレスの胸もとを金台にスター.ルビーのネックレスで饰り、ダイニング.ルームのシャンデリアの光の中で、三人の姿が灿(きらび)やかに目だっていた。
           近くのテーブルから、“ワンダフル!”という外人客の声が上り、拍手が鸣った。パール.スープと名付けられている真珠贝入りのスープの中から、真珠が出て来たことを喜んで、手を鸣らしているのだった。周囲のテーブルの客たちは、その方を振り向いたが、万表一族は、厳格なテーブル.マナーを守って、他人のテーブルには视线を向けない。
           万表家のテーブルは、デザートに入り、スーフレをテーブルの傍(そば)で作るために、ラム酒をのせたワゴンが运ばれて来た。二人の给仕が驯(な)れた手つきでスーフレを焼いた。
          「一子(いちこ)お姉さまは、このホテルのスーフレがお好きやのに、お可哀(かわい)そうに、“ミスター大蔵省”の旦那(だんな)さまのためにお正月早々から、お客さまのご接待に追われていらっしゃるのね」
           大蔵省主计局次长、美(み)马中(まあたる)に嫁いでいる一番上の姉だけが、新春の志摩での団栾(だんらん)から欠けている。それを淋(さび)しがるように三子が云うと、二子は、
          「大蔵省というところは诸事大へんなところなのよ、お正月のおもてなしのほどで、妻の実家(さと)方(かた)が解(わか)るというほど皆さん、派手におやりになるのですもの、それにお义兄(にい)さんは未来の大蔵次官、大臣を目指していらっしゃるから、志摩でお正月を楽しんではる暇などおありにならないのよ」 「だから、私、高级官僚のお嫁さんなど大嫌い、どうして银行家の娘が官僚のところへなど嫁(い)らしたのかしら――、お父さま、私はお姉さまみたいに、お正月も楽しめない方のとこへはお嫁に行きませんわ」


          IP属地:上海6楼2011-09-21 18:08
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             金融界に、ようやく再编成の波が押し寄せて来た。金融机関も规模が大きくなるほど経営コストが安くなり“规模の利益”が出て来るところから、合并.提携による大型化が必要とされる。
              大蔵省でも“金融の効率化”を図るため、积极的に金融再编成を促进する构えで、银行间に竞争原理を导入し、これまで过保护下にあった银行に、冷たい风を当て、银行を彻底的にしごこうという方针らしい。银行相互の竞争を助长し、効率の悪い银行が落伍(らくご)し、効率のよいところに吸収.合并されるという优胜劣败の状况をつくり出す过程で、大型化を轴にした再编成を促进させようというのである。
              こうした“金融の効率化”を促进し、具体化する金融制度改革案を、本年中にまとめるために、大蔵大臣の谘问(しもん)机関である金融制度调査会に『特别委员会』が设けられ、これまでの再编成论议に拍车がかけられる模様である。
             不意に电话のベルが鸣ったが、大介はすぐ受话器を取らず、もう一度、纸面に眼を走らせた。“これまで过保护下にあった银行に、冷たい风を当て、相互の竞争を助长し……効率の悪い银行が落伍し、効率のよいところに吸収.合并される……”大介の唇がむっと不机嫌に歪(ゆが)み、やっと受话器を取った。
            「もし、もし、お父さま、新年おめでとうございます、今年も志摩へ伺えなくて残念でしたわ」
             大蔵省主计局次长の美马中に嫁いでいる长女の一子からで、その性格に似つかわしく细い控え目な声であった。
            「ああ、おめでとう、今年のお正月も大へんだったろう」
            「ええ、それはよろしいのですけれど、子供たちの相手をしてやれないのが、可哀そうで――」
            「じゃあ、来年からは子供たちだけでも寄こしなさい、お母さまたちはラウンジだから、そっちへ电话を廻そうか」
            「いえ、また后ほど、今、美马とかわります」
             一子に代って、美马中の声が闻えた。
            「お舅(とう)さん、新年のご挨拶が遅くなりまして失礼致しました、今年も何かとよろしく――」
             美马のちょっと鼻にかかった、抑扬のない声が伝わって来た。
            「いや、こちらもよろしくだ、大蔵大臣への新年のご挨拶は、いつ伺ったのかね」
            「元旦です、大臣がいつも结构なものをと、云っておられましたよ」
            「そうかい、今、新闻の金融再编成の记事を読んでいたところだが、以前、君が话していたように金融制度调査会に特别委が设置されるようだね、特别委の委员长はほぼ定(き)まっているのかね」
            「いえ、まだ定まっていませんが、今までのようなお题目ではなく、今年あたりから都市银行の再编成が具体化して来ることは确かですね」
             美马は、国家予算を司(つかさど)る主计局に在りながら、银行行政を司る银行局の动向を殆どつかんでいた。
            「大臣や银行局长あたりは、既に具体的な腹案を持っているのだろう?」
            「さあ、それはどうでしょうか、なかなか腹の中は见せませんからね」


            IP属地:上海8楼2011-09-21 18:14
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              「ふうむ、しかし、大蔵省は、再编成を急ぎ出した感じがするな、大蔵省は何かというと银行を保护していると云うが、われわれから云わせれば、保护どころか、银行に対して横暴だよ」
               俄(にわ)かに大介の颜が、头取室にいる时のような难かしい表情に変った。関西で古い歴史を持つ名门银行とはいえ、业界ランクは辛うじて都市银行ベストテンに名を列(つら)ねる阪神银行にとって、金融再编成は重要な関心事で、再编成によって自行が不利な立场に追い込まれぬよう、绝えず、他行よりも一步、先んじていなければならない。
               そのためには大蔵省主计局次长である娘婿(むすめむこ)の情报は、大介にとって得难いものであった。
              「それで、委员长が本定まりするのはいつごろなんだね」
              「多分、正月明け早々から人选がはじまり、最终的には総理と大蔵大臣とが话し合って定まるわけです、まあ、その辺のところはお目にかかった时に、ゆっくりと……」
               相手に気をもたせるような云い方をした。
              「うむ、じゃあ、近いうちに孙の颜を见せにでも来なさい、その时、いろいろ闻こう」
               大介も落ち着き払って、电话をきった。
               妙に気をもたせ、そのくせ肝肾(かんじん)のことは片鳞(へんりん)も口の端(は)にのぼせぬ美马中の応(こた)え方は、いかにもエリート官僚らしい隙(すき)を见せない応え方だと思った。
               しかし、どうせ间もなく関西へやって来る时は、日顷、自分から経済的援助を受けている见返りとして、何がしかの情报を手土产にぶら下げて来るに违いないと思うと、大介の端正な颜にはじめて余裕のある笑いがうかんだ。万表大介が意図して、政略的に组んだ闺阀(けいばつ)が、着々とその実を上げつつあるからであった。
               长男の鉄平は、元通产大臣の大川一郎の长女を娶(めと)り、长女の一子は、将来は大蔵次官と属目(しよくもく)されている美马中に、银行局时代に持参金付きで嫁がせ、その后もずっと経済的援助をしている。次男の银平には、目下、万表家の新たな闺阀を作るための有力な縁谈が进行しつつあり、あとの二子(つぎこ)と三子(みつこ)も、それぞれ万表一族の繁栄を齎(もたら)すための縁组をするに违いない。
               こうした闺阀作りは、妻である宁子(やすこ)より、爱人である高须相子(たかすあいこ)によるところが多かった。
               妻の宁子には、公卿(くげ)华族の嵯峨(さが)子爵(ししやく)の出という门地の高さと臈たけた美しさがあったが、相子には女には惜しいほどの政治力があり、到底、四十过ぎとは思えぬ豊満な肢体と雕りの深い美貌(びぼう)は时として娘たちをも圧倒することがある。
               今夜、大介と同衾(どうきん)するのは、妻の宁子ではなく、相子であった。それは第三者には奇异に见えることであるが、大介にとって、ここ十数年来、続けてきた生活で、何のこだわりも、不自然さも感じない。
               廊下にかすかな足音がしたかと思うと、部屋の前で止まった。宁子と相子であった。
              「じゃあ、おやすみ游ばせ、お静かに――」
               いつものようにさり気ない就寝の挨拶を交わす二人の声が闻え、相子が入って来た。
                 *


              IP属地:上海9楼2011-09-21 18:14
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                 神戸元町(もとまち)の栄町(さかえまち)通りは、电车通りを挟んで、戦灾を免れた银行、证券会社の建物が、両侧にずらりと并んでいる。戦后になって、建物を新筑した大银行は、新市庁舎のある江戸町の辺りへ移転して行ったとはいえ、戦灾に焼け残った建物がたち并ぶ栄町通りは、今でも戦前からの金融街のたたずまいを残している。
                 その中でも阪神银行の建物が一际(ひときわ)、古めかしい。正面玄関に六本の石の円柱が耸(そび)えたち、バロック风建筑の分厚な石で囲まれた五阶建ての建物の窓は高く小さく、容易に人を寄せつけない荘重さを漂わせている。
                 朝五时に志摩観光ホテルを出発した万表大介を乗せた黒涂りのベンツが、东侧玄関に着くと、头取秘书と受付事务员が恭(うやうや)しく出迎えた。万表头取は、軽く颔きながら、ガラス扉(ど)で仕切られている営业部をじろりと见た。九时を过ぎたばかりであるが、二阶まで吹きぬけになった行内には、既に顾客らしい人影が见え、きちっと身装(みなり)を整えた行员たちが、折目正しくたち働き、贷付课长席には、先に着いた万表银平の姿が见えた。営业部の横のエレベーターに乗り、三阶で降りると、役员受付の女子行员が最敬礼で迎えた。
                「いや、おめでとう」
                 新年らしく微笑で応え、靴の踵(かかと)が沈みそうに厚い真红の绒毯(じゆうたん)を敷き诘めた廊下を头取室に向った。行员たちが“松の廊下”と呼んでいる长く折れ曲った廊下で、万表头取はセミ.タキシードに黒エナメルの靴を履いた长身のうしろ姿を见せて步んで行った。长い廊下の奥まった一室が头取室になっている。そこに行くまで几つかの役员室と役员専用の応接室があるが、すべて厚い扉に闭ざされ、中に人がいるか、いないかの気配さえ、感じ取れない。この同じ建物の阶下で、慌(あわただ)しく业务が行われていることが、信じられない程の静寂さに包まれ、薄茶(ベージユ)の壁と真红の绒毯が奥深く続いている廊下に、初めて访れた者は、外界から遮断(しやだん)された迷路に迷い込んだような错覚に捉(とら)われるが、透明な板ガラスの窓に、さらにもう一枚、金网ガラスが入っていることで、银行である実感が呼び醒(さ)まされる。
                 头取室は、建物の东南角の奥まった一室、三十畳敷ほどの広さで、戦前の建物であるから天井が高く、华丽なレリーフが施されて、壁にはルノワールの风景画が掲(かか)っている。调度はグレイの绒毯とチークの机、黒い皮の椅子(いす)で、全体がグレイと黒のトーンで统一され、そこに万表大介が入ると、银髪端正な大介の颜だけがうかび上り、まるでその効果が计算されているようにどこまでも渋く豪华な室内である。そして头取室の前に、さらに受付があり、行内の者でも容易に头取室へ近付けぬほどものものしい。八千亿円の预金を预かっている“银行の象徴”である头取の居室であれば、当然のことだというのが、万表大介の持论であった。
                 头取室に入ると、万表大介は真っ先に机の上の标示器を见た。専务、常务の役员がすべて在室している赤ランプが点(つ)いている。
                「役员は、全部、ご出勤でございます」
                 秘书の速水(はやみ)英二が云った。三十三歳の若さであったが、二年前、调査部から头取付秘书に抜擢(ばつてき)されたのだった。
                「本日のご予定は、このようにお愿いします」
                 いつもは、一刻を惜しんでエレベーターの中で示す日程表であった。九时半から年贺式、十时から十二时まで年贺客の挨拶受け、正午から一时まで役员会食、一时半から二时まで商工会议所新年名刺交换会、二时半から三时半は関西银行协会年贺会――、平素は六时过ぎぐらいまで诘っている日程が、新年四日の今日は三时半までになっている。
                


                IP属地:上海11楼2011-09-23 13:34
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                  「じゃあ、ちょっと――」
                   万表头取は时计を见てから、壁际の片隅の扉を押した。头取室に付随している専用のトイレットである。扉がしまると把手(ノブ)の横にオレンジ色の小さなランプが点いた。このランプは、秘书课の标示板と繋(つな)がり、大介が用便中には同色のランプが点き、用便中に电话がかかってきた场合の応対と、用便中に万一のことが起った场合に备えている。用便がすむと、秘书の速水は、年贺式の定刻になったことを报(しら)せた。
                   秘书课长の先导で、万表头取を先头に、二人の専务、続いて四人の常务が、江戸城中の“松の廊下”を行くようなものものしさで、五阶の讲堂へ向った。一流大学を卒业して入行した干部候补生も、入行当时は、支店へ出され、映画馆や百货店の集金雑务から始まって、预金获得の凄(すさま)じいノルマに狂奔し、それを终えると、融资で振り廻され、不良贷付にひっかかりはしないかと、神経を磨(す)り减らし、竞马のレースのように几种目もの苛烈(かれつ)なレースに并ばされ、やっと本店まで辿(たど)り着くと、荘重にして冷厳な银行の建物のたたずまいからは、到底、うかがい知れぬ権谋术数と阴湿な派阀闘争があり、その苛烈なレースにも胜ちぬいた者だけが、“松の廊下の住人”になり得るのだった。
                   五阶の讲堂は、尘(ちり)一つなく扫き清められ、正面の坛上には金(きん)屏风(びようぶ)が张りめぐらされ、左侧の花台(かだい)には、五叶(よう)の松が白磁の壶(つぼ)に活(い)け込まれ、新年らしい清々(すがすが)しさが涨(みなぎ)っている。平常业务にさしつかえぬよう、课长以上六十数名の行员が、坛上に向って三列に并べられた细长いテーブルの前に侍立(じりつ)するようにたって、年贺式の始まるのを待ちかまえている。预金高八千亿円、贷付高六千五百亿円、神戸を本店にして、东京、大阪、名古屋をはじめ、横浜、京都、広岛、福冈など全国に支店百三十店を持ち、全行员九千人を拥する阪神银行本店の年贺式であった。
                   廊下に靴音が响き、秘书课长の先导で、万表头取、続いて専务以下六人の役员が讲堂へ入って来ると、姿势を改める気配がたち、六人の役员は、左右に别れて坛の下にたち、万表头取だけが、ゆっくりと坛上にあがった。金屏风が配された坛上に、银髪の万表大介がたつと、金屏风に银髪が映え、若くして头取になるべく育てられた者の威风が行员たちを圧した。
                  「新年おめでとう、今年の経済界の课题は资本自由化にいかに対処するかということであります、资本自由化が进めば、アメリカを始めとする欧米の巨大资本がなだれ込んで来るのは目にみえており、日本の产业界は、これに対抗し得る体质作りのために、合并、提携を余仪なくされているのが现状であるが、金融界も、いよいよ今年から金融再编成の机运が高まって来つつあり、银行自体の体质强化が迫られている。
                   こうした要请に対処するには、贷金の内容をよくしたり、経営の効率を高めて行くような“质”の向上はもちろんであるが、特に今年最大のスローガンを“量の拡大”におき、预金量の飞跃的な拡大を指向したい、そこで新年に当り、诸君にお愿いしたいのは、现在の预金量八千亿円をこの一年で一兆円にのせるよう必达成を期して顽张って贳(もら)いたいということである、そのためには他行の优良取引先の夺い取りをも辞せずの気概をもって当って贳いたい、他行が秘蔵している优良取引先を夺い取ることは、ライバル银行との相対的な関系において、上下(うえした)、倍の格差になって现われる、このような思い切った预金量の増大を図ることが、とりもなおさず収益の増进、体质の强化に繋がるわけである」
                  


                  IP属地:上海12楼2011-09-23 13:34
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                     头取の年头の辞にしては、ストレートであり过ぎたが、それだけに、金融再编成の机运の高まりを前にした头取のなみなみならぬ决意が感じ取られ、行员たちは紧张した面持で闻き入った。
                     年头の辞が终ると、テーブルの上のビールが注(つ)がれ、笔头専务の発声で、
                    「阪神银行の発展と、万表头取のご健康を祈って、乾杯!」
                     高らかに乾杯が唱えられた。万表大介は坛上にたったまま、乾杯を受けた。
                     头取室へ帰ると、既に年贺の客が待ち受けており、秘书の速水が、来客の氏名を记したメモを示した。
                    「例年通り、六、七十人ぐらいお见えになると思いますので、格别のご用向きのない限り、一组五分以内でお愿い致します」
                     万表は、椅子に坐(すわ)る间もなく、隣接している応接间の扉を押した。
                     浓绀(のうこん)のカーペットが敷き诘められた部屋の真ん中に大理石の丸テーブルとシルバー.グレイの安楽椅子(ソファ)がセットされ、礼服を着た客がたち上った。最初の来客は、大口融资先の平和ハウスの会长と社长であった。
                    「新年おめでとうございます」
                    「おめでとうございます、早々にお揃(そろ)いでお年贺を戴(いただ)き、恐缩です」
                     万表は郑重(ていちよう)に答礼して、二人と向い合って坐った。
                    「头取、昨年はえらいお世话になりましたが、今年も一段とよろしゅうに――、昨年は头取に思い切った融资をして戴いたおかげで设备拡张が出来、うちの社のユニット.ハウスの生产量は、业界の総生产量の二二パーセントも占め、市场占有率(シエア)も业界第一になっとりますわ」
                     创业者で八十歳の会长が関西人らしい腰の低さで挨拶(あいさつ)すると、五十を过ぎたばかりで手腕家の二代目社长は、
                    「今年もさらに大きく伸びるために、高层プレハブの具体化を业界に先がけて行う计画をたてております、何しろ日本の住宅事情は宅地に大きな制约がありますから、今后、高层プレハブ化に向う倾向が予想以上に早まると判断されますので、いち早く手がけたいと考えております、今年も何かとよろしく――」
                     新年の挨拶をかねて、今年の事业计画の见通しを话した。万表大介は姿势を崩さぬ程度に足を组み、相手に烟草(たばこ)をすすめ、自分も吃(す)いながら、軽く颔(うなず)く以外に、殆(ほとん)ど喋(しやべ)らない。银行の头取としての万表大介は、最低必要限のことしか喋らないことにしている。万表の会う相手の大半が、融资に繋がる话であるから、できるだけ沈黙を守ることが、相手と自分との距离をおくことになる。したがって万表は、一步、自宅を出た时から、家庭にいる时とは全く别人の都市银行の头取という公人になりきることにしている。银髪端正な容姿と、必要なこと以外喋らない寡黙(かもく)さが、外部の者に冷たい感じを与えたが、それ以上に畏怖(いふ)の念を抱かせていることを万表は、充分に计算していた。
                     二番目は、地元选出の******の中根议员であった。
                    「さすが万表头取ですな、私が来たらもう五、六人先客がありましたよ、幸い颜见知りの连中だったから、お先にと云ってくれたが、いくら何でもいの一番じゃあ気がさして、二番目に挟んで贳ったんですよ」
                    「これは早々に――、国会议员の先生には、こちらからご挨拶申し上げねばなりませんのに――」
                     选挙地盘の事情さえ许せば、いつでも自由党から立候补するというような男だったが、国会では大蔵委员をしていたから、万表は郑重に挨拶した。
                    「いや、头取には、何かとお世话になっているから、こちらから新年の挨拶ぐらい、当然ですよ」
                    


                    IP属地:上海13楼2011-09-23 13:34
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                       门の前で车が停まると、突然、辺りの静かな空気を破り、威吓(いかく)するような犬の远吠(とおぼ)えが闻えた。门の大扉(おおとびら)が开かれ、
                      「旦那(だんな)さま、お帰りやす」
                       门脇(わき)の夜警室から、庭番夫妇が出迎えると、その背后(うしろ)から风を切るような音をたて、小牛ほどの犬が走って来、车から下りたった大介の周(まわ)りに尾を振って群がった。爱犬のファウン.グレートデン三头であった。黄金色の滑らかに光る毛并を辉かせ、体高八十センチ、体重六十キロの大きく引き缔まった体躯(たいく)と、头の顶から鼻柱にかけての线と眼に品位があり、万表家の犬らしい格を备えている。
                       门から玄関まで五分程かかったが、大介は门のところで车を下り、玄関まで步くことを、运动不足になりがちな毎日の散步代りにしている。大介は三头の爱犬を従えて、缓(ゆる)やかな坂を上って行った。中程まで上ると、裏山の谷川から引いた水が流れ、流れにかけた石桥を渡ると、スペイン风の赤い屋根と白い塔が见えて来る。大介はそこで足を止めて、いま上って来たばかりの方向を振り返ると、爱犬たちも同じようにそこに踞(うずくま)った。眼下に芦屋(あしや)、冈本、御影など阪神间の街が一望のもとに见渡せ、その先には神戸港の海が広がり、海を埋めたてた滩浜(なだはま)临海工业地帯が凸字(とつじ)型に突き出、工场群の烟突が并んでいる。そしてその东端の、一际(ひときわ)大きな烟突が、长男の鉄平が経営にあたっている阪神特殊钢で、黒ずんだ烟を今日も吐き出している。毎日、见驯(みな)れた风景であったが、大介は、朝、邸を出る时と帰って来た时、必ず邸内の道の中程にたって阪神特殊钢の烟突を眺める。したがって三头の爱犬たちも、凛(りん)とした眼で大介と同じ方向を见、时々、甘えるように小牛のような体を擦(す)り寄せ、冷たい鼻先を大介の手に擦(こす)りつける。
                       玄関に近付くと、スペイン风の洋馆だけではなく、野石积みの石塀(いしべい)を隔てて、数寄屋(すきや)造りの日本家屋が、见事な対比を见せている。和洋合わせて三百坪余りの建物であったが、洋风好みの大介は、殆ど洋馆の方を使っている。急に三头の爱犬が土を蹴(け)って走り出した。
                       玄関の厚い大きな扉が开き、ポーチに人影が现われた。妻の宁子(やすこ)と爱人の相子(あいこ)であった。来客の时は别として、大介の毎日の送り迎えは、女中たちに任さず、宁子と相子の二人ですることになっている。スペイン式の彩色タイルを贴(は)り诘めた広いポーチの左と右に别れ、宁子は渋い薄紫の和服、相子はローズ色のツーピースで、大介がポーチに着くまで、それぞれの姿势と眼(まな)ざしで迎えている。大介はそのどちらにも视线を向けず、まっすぐ玄関のポーチに向って步いて行く。そして一步、玄関に入った时から、万表大介は、阪神银行の头取という公人の立场を离れ、世间から完全に遮断された処(ところ)で、もう一人の万表大介の生活が始まる。
                       玄関から居间までの间に、かなり広いホールがある。両侧に、来客用の応接室とダイニング.ルームがあり、床にスペイン式の雪花模様の彩色タイルが贴り诘められ、渋いグレイと黒に统一された银行の头取室とは、全く正反対のカラフルな明るさに溢(あふ)れている。妻の宁子は、大介のすぐうしろを步きながら、
                      「今日は、お疲れでございましたでしょう、志摩をお発(た)ちになりましたのが、五时でございましたもの――、私たちは正午までゆっくりして、発ちましたからよろしゅうございましたけど――」
                       まだ帰って来たままの装いらしく胸高に帯を缔め、関西讹(なま)りのゆっくりとした语调で、云った。
                      


                      IP属地:上海15楼2011-09-23 13:34
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                        「そりゃあ、よかった、私は少々、疲れたな」
                         银行にいる时とは别人のように解放的で明るくふくらみのある声で応(こた)え、居间に入って行った。スペイン松の太い梁(はり)を张り出した天井から、鉄制のランタンが吊(つ)り下げられ、部屋の正面に、背丈に近い高さの大きな暖炉がある。暖炉を囲む皮张りの粗野な趣を持った椅子(いす)も、樫(かし)の顽丈なテーブルも、壁に掲(かか)った壁挂(タピストリー)もすべて先代がスペインから船便で取り寄せた调度であった。大介は暖炉の上のパイプたてから、ダンヒルのストレート.グレーンのパイプを取った。一本の木から一つしか取れぬ木目(もくめ)の通ったもので、ここ二十年来、爱用しているパイプであったが、五分刻みの日程で动いている银行では、パイプなどくゆらせている余裕がない。帰宅して、爱用のパイプを口にくわえ、火を点(つ)ける时が、一日のうちで一番、解放感を感じる时であった。その间、相子は、ツーピースの上衣を安楽椅子(ソファ)に脱ぎ舍て、ブラウス姿で女中たちを差配して、お茶を运ばせ、暖炉の火加减を见させた。地下にボイラー室があり、他の部屋は暖房していたが、大介の好みで、居间だけは暖炉の火で暖めることになっていた。火加减が整うと、相子は大介のうしろに廻って上衣を脱がせ、新年用に新调しておいた绢のガウンを羽织らせた。女中たちをてきぱきと指図し、
                        「今日はお年贺のパーティが多かったと存じますが、お食事はすぐなさいます?」
                         相子はその日の大介の日程を头において気を配り、行动している。
                        「そうだな、先に风吕(バス)を使いたいが、今日は久しぶりに、新年らしく桧(ひのき)の汤槽(ゆぶね)の方がいいが、できるかい」
                        「でも、あちらのお汤殿ではお寒いのではございませんかしら、それに今日はまだ焚(た)いていないのでは――」
                         宁子が云うと、
                        「いえ、そうお望みではないかと思って、ご用意致しておりましてよ、どうぞ」
                         相子はそう云い、女中たちに旦那さまがご入浴ですよと、云いつけた。ガウンに着替えた大介は、居间を出、ホールを横ぎって日本馆の汤殿の方へ足を向けた。父の敬介が生前には日本馆に住まい、大介夫妇が西洋馆に住んでいたが、敬介が亡(な)くなってからは、日本馆は冠婚葬祭以外には殆ど使わない。山裾である地形を利用し、渡り廊下に高低をつけた凝った普请(ふしん)であったが、今は客殿と呼んでいる来客用の広间と仏间と汤殿だけを时々、使っている。
                         汤殿の戸を开けると、齢嵩(としかさ)の女中が汤槽の盖(ふた)を开けて、六、七坪はあろうかと思われる広い汤殿を汤気で温め、脱衣场にもパネル.ヒーターを入れていた。桧の大きな汤槽に入り、ゆったりと浸(つ)かると、気分が爽快(そうかい)になり、特に今日のように疲れている日は、芯(しん)から疲れがほぐれる。その上、汤殿が南向きの小高く突き出たところにあったから、邸内が见渡せ、昼间なら神戸の海まで见渡せた。大介は、第一次世界大戦の时、万表船舶を兴(おこ)して巨富を得た亡父が、広大な邸を构え、この海を见下ろす汤殿から神戸湾を出入りする自社の船舶を眺め、悦に入っていたのかと思うと、豪放な父らしいと思った。近くでファウン.グレートデンの吠(ほ)え声(ごえ)がした。
                         窓の外を见ると、二匹が凄(すさま)じい势いで、背后の山に向って駈(か)けぬけて行った。夕暗(ゆうやみ)の中で金色の生きものが、风を切って疾走する美しい姿を见送り、大介は汤槽から上った。六十歳とは思えぬ筋肉质の缔まった体であった。石鹸(せつけん)を体一杯に泡(あわ)だてながら、邸内へゆったり视线をめぐらせた。汤殿の东侧の池を隔てた高みに、ル.コルビジェ风の白い建物があり、夜の灯りが点いている。长男の鉄平夫妇の住まいであった。灯りが各部屋に点いているところからみて、鉄平も今日は早く帰宅している様子だったが、大介たちと同じ西洋馆に住んでいる次男の银平と、娘の二子と三子の部屋は揃(そろ)って、灯りが点いていない。
                        


                        IP属地:上海16楼2011-09-23 13:34
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                           汤殿から上り、洋馆の居间に帰って来ると、暖炉の火が势いよく燃え、冷えたビールとオードブルが用意され、宁子と相子とが向い合って、话している。大介は素肌の上にガウンを羽织った姿で、
                          「なんだね、その写真は――」
                           二人の间に置かれている写真を眼で指した。宁子は、困惑した表情で、
                          「银平のお縁谈(はなし)がまだ定(き)まっておりませんところに、相子さんが、また二子の縁谈をお持ちになったので――」
                          「ほう、どこからの縁谈(はなし)だね」
                          「オリエント电器の岩野さまのご长男さまで、结构なお縁谈(はなし)です、でも、まず银平の方から顺番にお縁谈(はなし)を定めて行きたいと、私は思うているのですけど――」
                           と云いかけると、相子はその言叶を遮(さえぎ)るように、
                          「银平さんのように、いつまでもはっきりしない方の返事を待っていて、二子さんのいいご縁谈を逃がしたりしてはつまりませんわ、第一、银平さんの方は、数あるご縁谈の中から大阪重工の安田さまと、京都大学の世界的な数学者でいらっしゃる三木教授のお嬢さまのお二方にしぼり、どちらかにおきめ戴(いただ)くことになっておりましてよ、それを银平さんが、ぐずぐずとご返事を延ばしていらっしゃるのは、お厌(いや)だからではなく、あの人一流のいや味なポーズに过ぎないと思いますわ」
                          「でも、あんなに返事を长びかせているところをみると、何か考えるところがあるのかもしれませんし――」
                           宁子が、银平をかばいかけると、
                          「银平さんの考えって、一体、どんなお考えだとおっしゃるのです? 万表家の婚姻は、普通の家庭の男女の结婚ではございませんでしょう、婚姻によって闺阀(けいばつ)を広げ、闺阀の力によって、さらに万表一族、万表コンツェルンを强大なものにしようという方针があるはずですわ」
                          「まあ、あなたはそんな……ご自分にお子さまがないから、そんなことがおっしゃれるのでございましょう」
                           宁子は、诘(なじ)るように云った。
                          「いいえ、私にとって二子さん、三子さんはもちろん、鉄平さん、银平さんもみんな、自分の子供のように思っておりますわ、だって、私が家庭教师として情热を倾けて教育し、りっぱに育てあげて参ったのですもの、或(あ)る意味ではお产みになっただけで、あとは人任せの宁子さまより、私の方が、お子さまの性格をどれだけよく知っているかしれませんわ」
                           相子は、妻であり、母である宁子の存在を蔑(ないがし)ろにするように云い、
                          「では、私はこれで――、ごゆっくり游ばせ」
                           ひらりと椅子からたち上った。今夜は、妻の宁子が大介と寝室を共にする日だった。
                           万表鉄平は、书斎で、轴受钢(じくうけこう)の増产计画に関するレポートに眼を通していた。新年早々、技术部から専务室に届けられたレポートであった。経営者であるより技术者である要素の方が强い鉄平であったから、数字の并んだ决算报告书より、设备関系の报告书の方に兴味があった。まだ十五页(ページ)ほど残っていたが、眼を憩(やす)めるために窓の外を见た。
                           几つかの庭园灯に照らし出された広い邸内の中央に、ヨーロッパの馆(やかた)のような白い塔を耸(そび)えさせた洋馆がくっきり浮かび上っている。昼间はそう异様に感じられない塔が、夜の灯りの中では不気味に见える。塔の中は螺旋(らせん)阶段があるだけで、塔屋は望远のための小さな円形の窓が切られており、一体、何のために塔を造ったのか、鉄平は理解に苦しみ、代々の地主とはいえ、第一次大戦で巨万の富を得た祖父の“船成金”の趣味かとも思ってみたが、昭和初年に、これだけの大きさと彻底した洋馆を建てた祖父のことを考えると、寻常でない伟さを覚える。
                          


                          IP属地:上海17楼2011-09-23 13:34
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                             扉(ドア)をノックする音がし、妻の早苗がブランディを运んで来た。蓝(あい)大岛の対(つい)の着物に、ゲランのオーデコロンの香りを漂わせている。
                            「あなた、もうお寝(やす)みになりますでしょう」
                             鉄平は、就寝前に、ブランディを饮む习惯があった。鉄平は窓から视线を离し、妻の方を振り向き、
                            「子供たちは、よく寝んでいるかい」
                             小学校一年生の太郎と、幼稚园の京子のことを闻いた。
                            「ええ、志摩からの长い车に疲れましたのか、お夕食を戴くと、すぐ寝みましたわ」
                             早苗はブランディを注ぎながら云い、
                            「来年からは、志摩へ行くのをやめに致しましょうよ」
                            「それはまた、どうしてだい?」
                            「だって、外国流の正式なディナーですから、子供たちはせっかく志摩へ出かけても、いつも先にお食事をさせられて、私たちが晚餐(ばんさん)をしている间は、子供たちだけでお游びでしょう、去年まではまだしも、今年は太郎と京子が、亲子水入らずで召し上っている方たちを见て、羡(うらや)ましそうな颜をしておりましたもの、といって、まさか、お舅(とう)さまを挟んで、毎日、お姑(かあ)さまと相子さんが一日交替に坐(すわ)る席へなど、子供たちを出せないじゃありませんか、この邸内でも、こうして全く离れた生活をしておればこそ、子供たちの眼にふれないのですわ」
                             父よりも祖父に似て、色が浅黒く精悍(せいかん)な鉄平の颜が、不机嫌に动き、再びテーブルの上のレポートを取りかけると、早苗の手が阻(はば)んだ。
                            「あなた、私、ほんとうに口惜(くや)しくて――、今日、私がお亲しくしている芦屋病院の院长夫人が、二子さんのご縁谈を持って来て下さったの、そうしたら相子さんったら、いろいろとお縁谈(はなし)がございますので、その方面のことは私が一切を取り仕切ってお承りすることになっておりますと、横から出て来て、私をさしおいて院长夫人と话し合うのです、あの方は、一体、万表家の何だっていうのです、お舅さまは爱人だとおっしゃるけれど、妻以外の女、所诠(しよせん)はお妾(めかけ)、今夜はフランス语、明日は英语のディナーと云うこの万表家が、妻妾(さいしよう)同居の生活なんて……、化けものだわ、あなたたちは、それでよく平気でいらっしゃるわね」
                             早苗は我慢ならぬように云ったが、鉄平は分厚な肩を安楽椅子(ソファ)にもたせかけたまま、
                            「平気ではないが、仆たちの子供の时からのことだから――、それに何も知らない他人の眼には、母と彼女は、姉妹か、従姉妹(いとこ)同士のようにも见えて、别に不自然にうつらないんじゃないか、それを今さら――」
                            「今さら何だとおっしゃりたいの、でも、いくらなんでも毎日、妻の坐る位置に、二人が交替に坐る必要などありませんわ、お姑(かあ)さまは、なぜいつも、毅然(きぜん)として、妻の坐る位置に坐っておられないのです?」
                             鉄平は、さすがに応える言叶に穷した。母と相子の坐る场所が一日交替になったのは、いつの顷からか、鉄平の记忆にも定かではなかったが、妻の坐る位置に坐った者が、名実ともにその日の妻の役目を果すことになっていることを知ったのは、鉄平が成人してからであった。
                            「どうしてあなた方は、お姑さまのために、あの人を万表家から出せないの、私にはあなた方ご兄妹(きようだい)の気持が解(わか)らない、男性の银平さんはともかく、未婚の二子さん、三子さんまで、妻妾同居ということにこだわりを持たず、平気でいられるなんて、私には全く理解できないわ」
                            


                            IP属地:上海18楼2011-09-23 13:34
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                               早苗の眼に、侮蔑(ぶべつ)するような色がうかんだ。ブランディ.グラスを持つ鉄平の手が止まった。
                              「妻妾同居といっても、わが家の场合は、普通のそれと少し事情が违うことは、これまでに何度も君に话しているじゃないか、母は、戦前の京都の公卿(くげ)华族から、老女付きで嫁いで来、家のことは何一つ出来ない人だ、それが戦后、昔のような执事や老女がいなくなり、女中たちだけになった时、高须相子という才色兼备で、米国へも留学した経歴を持つあの人が、家庭教师として入って来たんだ、最初のうちは子供たちの教育だけであったのが、次第に家内(いえうち)全体を差配するようになり、いつの间にか、仆たちが父に頼みごとをする时でも、あの人を通してしか云えないような雰囲気が、出来上ってしまったんだ――」
                              「だから、あなた方は、あの人の存在を黙认し、妻である私まで、あの人の指図に従わなければならない雰囲気があるわけなのね」
                               早苗の言叶には、棘(とげ)が含まれていた。
                              「たしかに、私の父の大川一郎だって、お妾を持っておりますでしょう、でも本宅へ入れたりなど致しません、万表家のこんな事情を知っていて、相子さんのような人が万表家の结婚话を取り仕切っていると知っていたら、私、嫁いで参りませんでしたわ」
                               结婚して八年も経(た)っていたが、外から入って来た嫁にとっては、今なお黙认出来ぬように云った。早苗の言叶通り、万表大介が、妻妾同居の生活を営んでいることは、世间に知られていなかった。それというのも、六甲山脉の裾野(すその)の天王山、一山殆(ひとやまほとん)どが万表家の地所で、その山裾に邸宅を构え、外からは家内(いえうち)を窥(うかが)い知ることの出来ない、外界から遮断(しやだん)された生活であったからだった。そして、毎年の正月に、自家の别荘に出かけるような驯(な)じみ深さで、志摩観光ホテルに出かける时だけが、万表一族の姿が外部の眼に接する时であった。
                              「それにつけても、あの人、どんな风にしてお舅さまと结びついているのかしら、あれだけの力を持っているのですもの」
                               女のいやらしさと残忍さを帯びた语调であった。鉄平は応(こた)えずに、先刻、父が使っていたらしい、灯りが点いていた日本馆の汤殿へ眼を遣(や)った。そこに二十年ばかり前の出来事が、鲜明に残っている。
                               万表家の入浴の时间というのは、特别な意味を持っていた。五时からはじまる入浴の时间には、子供たちが一斉に、洋馆から日本馆の広い汤殿に集まるのだった。それは祖父が健在であった顷の习惯で、祖父は自分の好みで作った大きな汤殿に孙たちを一度に入浴させるのが好きだった。したがって鉄平たちは男女ともに十五歳まで、母とともに、兄妹揃って入浴するのが、幼(ちいさ)い时からの习惯であった。しかし母は、子供たちと汤殿へ入っても、子供はもちろんのこと、自分の体も洗おうとはせず、雏(ひな)人形のように美しく小柄な体をたゆたうように桧の汤槽に浸け、洗い场に上ると、背中から両手、両足、爪先(つまさき)から耻部まで女中に洗わせた。子供たちも女中たちに洗って贳(もら)うから、入浴时の汤殿は、邸内で一番赈(にぎ)やかな场所になる。その代り、汤殿以外の部屋は、その时间、ぴたりと动きが止まったように森闲として人影がなくなり、家中の人の动きが汤殿に集まってしまう。この入浴の时间が、鉄平以外の子供たちにとって、一日の中(うち)で一番楽しい时间であった。各自にあてがわれている部屋から、家庭教师の高须相子の监督を离れ、迎えにきた女中たちに连れられて、洋馆から长い廊下を通って日本馆の汤殿へ行く时の楽しさは、プールに飞び込みに行くような心の弾みがあった。
                               鉄平の记忆に残っているその日、弟妹(きようだい)たちは、いつものように大声ではしゃぎながら汤殿に集まっていたが、一足先に入浴をすませ汤殿を出た鉄平は、バス用のガウンを羽织って西洋馆に帰って来、父の居间まで来て、思わず息を呑(の)んだのだった。
                               日顷から父しか入ってはいけない部屋、子供たちも胜手な入室を许されていない部屋の扉が细目に开いていて、その中に家庭教师の高须相子と父の姿があった。しかも、子供たちを膝(ひざ)の上に抱いたことのない父が、相子を膝の上に抱き、二人の姿が重なり合っていたのだった。思わず、鉄平が后退(あとずさ)りした时、背后に人の気配がした。振り向くと、死人のように苍(あお)ざめ、动かない母の颜がそこにあった。その时の怖ろしいほどの愕(おどろ)きを、鉄平は谁にも话さなかったが、その顷を境にして、高须相子の自分たちに対する躾(しつけ)が厳しくなり、自分たちの教育、进学に関する决定権まで相子が持つようになったのだった。鉄平はそのことに激しい反拨(はんぱつ)を感じたが、肝肾(かんじん)の母の宁子は、公卿华族の门阀に生れたというだけで、相子に対抗し得るだけの家事を管理する力も、子供の教育をする能力も持ち合せないせいか、何事もなかったようなさり気ない平静さで、これまでと同じ生活様式を崩さなかった。
                               鉄平は曾(かつ)て自分も父たちと一绪に住んでいた白い壁と高い塔を持つ洋馆に视线を当て、
                              「たとえ、いくら话したとしても、君には、万表家における高须相子の存在は理解できないだろう、しかし彼女は彼女なりの役割を果しているのだから――、それに今さらどうこう云ってみても、仕様のないことだ」
                               妻との会话を打ち切るように安楽椅子(ソファ)からたち上った。しかし、一步、万表家の邸内に入れば、妻妾同居の生活を営み、一步、邸外へ出れば、冷厳な姿势で银行の头取としての业务を行い、世间でもそれで通している万表大介という一人の男の性格が、父と子という间柄を离れて、冷彻怪异な人物として鉄平の心にのしかかって来た。
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                              IP属地:上海19楼2011-09-23 13:34
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